日本の国柄を壊そうとする動きは、絶対に阻止しなくてはならない。日本人は家を中心として御先祖様を祀ってきた民族である。それが否定されれば、日本の根本が失われたことになる。柳田國男がなぜ昭和20年の敗戦間際に『先祖の話』を世に出さなくてはならなかったかというと、それは国のために散華した者たちの魂の行き場がなくなるのを恐れたからだ。柳田には「家無くなって、よその外棚を覗き回るような状態にしておくことは、人を安らかにあの世に赴かしめる途ではなく、しかも、戦後の動揺を慰撫するの趣旨にも反すると思う」との危機感があった。あくまでも先祖はそれぞれの家で祀られるべきであり、跡取りがそれを引き受けるのである。だからこそ財産を相続する権利も手にするのだ。その大事な結びつきが失われれば、死者たちとの絆も見失われてしまう。戦後の民法の改正によって、相続にあたっては跡取りが優先されることはなくなった。それでも家を生命のように考え、その永続を願う精神が未だに日本人には脈打っている。柳田は「春毎に来る年の神を商家では福の神、農家では又御田の神だと思っている人が多い」ことに注目し、「此神をねんごろに祭れば、家が安泰に富み栄え、殊に家督や畠が十分にその生産力を発揮するものと信じられ、且つその感応を各家が実験して居たらしいことで、是ほど数多くの又利害の必ずしも一致しない家々の為に、一つ一つの庇護支援を与え得る神といえば先祖の霊を外にしてはそうたくさんはあり得なかったろうと思う」との見方を示したのだった。婚外子の遺産相続を摘出子と同等にする民法改正を行うことは、日本人の素朴な信仰心と倫理を破壊することであり、断じて認めるわけにはいかない。
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