日本は国際舞台で活躍できる力がある。それを証明してくれたのが昨日のサッカーの親善試合、日本とオランダの一戦ではなかったか。足もとにも及ばないと思われていた日本が、終わってみたらば2対2の同点であった。そこでの日本チームのプレイを見ていて驚いたのは、味方の選手にボールを出すタイミングである。わずかなすきを狙ってチャンスをつくっていく。サッカーは団体競技であり、一対一で見劣りしても、トータルの力で圧倒できれば、勝つことができるのだ。それはサッカーだけに限らないのではないだろうか。日本が国家として、世界の国々に伍していくためには、やっぱりまとまりではないだろうか。個人の自立だとか声高に叫ぶ人間がいるが、西洋的な価値観が全てであると思ったならば、大きな間違いである。私は反米ではないが、アメリカニズムには与しない。佐伯啓思が『現代民主主義の病理』で述べているように、アメリカは移民の国であることで、「アメリカ独自の文化は、移民たちの母国文化の個別性を払拭したところにしか成り立たなかった」のである。その点を見落としている日本人が多いのではないだろうか。多民族国家であるがゆえに、共通の価値観として、佐伯の言う「リベラリズムやデモクラシー、フェアー・ゲームによる競争精神」を掲げざるを得なかった。それがアメリカの世界的な膨張にともなって、普遍性な価値を帯びるようになったのだ。日本でもてはやされているグローバリズムとは、まさしくアメリカニズムにほかならない。しかし、サッカー日本代表は、日本人の繊細なプレイすることで、強豪のオランダに一歩も引けを取らなかったのだ。日本は日本であることで、最終的には世界から尊敬されるのであり、アメリカ人になる必要はないのである。
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