戦後の新京都学派の代表は梅棹忠夫であるが、彼の着眼点は優れたものがあった。人間の生きがいというのは、神聖な価値に裏打ちされていなければならないことに気付いていたからだ。梅棹は『わたしの生きがい論』のなかで、それを分かりやすく解説している。「人間の心のなかには、聖なるものへの願望と、俗なるものへの欲求とが、あいならんで存在しているもののようです。そして、人間の歴史のなかでは、聖なるものと俗なるものとが、からみあってながれているようです。ある時代には神聖なものが優先し、ある時代には世俗的なものが優先します」と解説している。現世の幸福の追求とか、生活水準の向上とかとは違って、精神的なものが日本社会が重きを置くようになった。その点を踏まえて、梅棹は「明治以来の国民の努力の蓄積、あるいはそれ以前からの文化的伝統の上にたって、いちおう、飢えからは解放され、物質飢餓症からも解放された、大衆的消費社会が現出しているのです。そこには、世俗的欲求がいちおうみたされた、巨大な大衆が存在しているのです」とまで書いた。梅棹は歴史的経過として、「昔の神聖行為というのは、じつは、生活のみちたりた、少数の特権者たちのものだった」のと比べると、ようやく今の時代になって「大衆の精神的武装が可能になったということ、精神世界への大衆参加の道がひらけてきたことであろうと評価しているのです。現代は、大衆的神聖行為の実現する時代なのです」とまで言い切ったのだ。あくまでも期待をこめてではあるが、私は本質を突いていると思う。ネット上で主導権を握っている保守派の人たちは、世俗の価値以上に精神的な価値を重視している。梅棹のその本が世に出たのは昭和56年のことであるが、そのときから日本は変わりつつあったのだ。
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