草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日の丸に目頭が熱くなるのは日本人であるからだ!

2012年07月30日 | 思想家

 オリンピックは参加することに意義があるとしても、日の丸がメインポールに揚がれば、日本人であれば、誰もが目頭が熱くなるのではないか。今行われているロンドンオリンピックでは、まだ今日の段階でそれが実現していないが、これから頑張ってもらいたい。ロンドンでの日本人の応援でも、たくさんの日の丸の旗が振られている。外国に出かけて始めて、日本人であることを再認識するのだろう。そして、自国の選手に、絶大な声援を惜しまないのである。それをナショナリズムと批判するのは、エセインテリの常だ。横文字でしか物事を考えられないだけに、彼らにとっては、日の丸に感動する日本土民などは、軽蔑の対象でしかないのだろう。シナの学問に明け暮れていた山鹿素行は、赤穂に流されたことで自問自答し、日本に目覚めたのである。『配所残筆』のなかでは「耳を信じて目を信ぜず、近きを棄てて遠きを取る」という立場を否定した。シナでは革命が繰り返し行われたのに対し、日本は神代から連綿として皇室が続いている。そのことを素行は高く評価したのだ。山崎闇斎は「シナから孔子や孟子を大将として攻めてきたらば、お前たちはどうするか」と弟子たちに向かって質問した。弟子たちが困っていると、闇斎は「孔子や孟子と戦って、あるいは斬り、あるいは生け捕りにするのだ。それが孔子の教えだ」と言い切った。二人とも日本という国家のかけがえのなさは熟知していた。それと比べると、エセインテリは舶来の物にぞっこんなのであり、日の丸に敬意を表するわけがないのだ。


政治 ブログランキングへ

               ←日本は愛するに値する国だと思う方はクリックを

 にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界革命浪人」太田竜が推奨していた権藤成卿の反近代の思想!

2012年07月30日 | 思想家

 反原発のデモをマスコミは大々的に取り上げるが、だったらテレビは、率先して放送時間の短縮をすべきではないだろうか。お笑い芸人のくせに、芸で勝負するのではなく、コメンテーターとして、愚にもつかないことを口にする。そんな連中のテレビなど、国民は見なくても、まったく困らないのである。さらに、パチンコも、営業時間を限定し、節電に協力させるべきだろう。電気を使い放題に使いながら、臆面もなく反原発を主張するのは、単に騒ぎたいからだろう。首相官邸前のデモの様子が動画で配信されているが、そこで乱立する赤旗は、一般国民の参加が、それほどでもないことを教えてくれる。私は全ての原発を廃炉にすべきだと思うが、シーラカンス化したサヨクのデモに与するつもりはない。それよりもエコを啓蒙することが先決だと思う。私が敬愛してやまなかった太田竜は、ありきたりのサヨクと違っていた。太田は『何から始めるべきか』で、権藤成卿の思想について取り上げ、「資本主義というものを、人間の弱点を際限なく伸ばしているというふうにいっているんです。人間は道具をつくり出すことによってほかの生物と異質な存在として進化しているというわけですけれども、ところがそれが極端に際限なく行きすぎて、生物の一種としての人間が自分の土台を自ら切り崩して、人間の生存自体ができなくなるような状況に、産業革命以降、あるいは特に第二次世界大戦以降まっしぐらに進んでいる」と書いている。大部分のサヨクのように未来をバラ色に描くのではなく、反近代の社稷の思想こそが、今求められているのではないか。


政治 ブログランキングへ

             ←今求められているのは反近代の社稷の思想だと思う方はクリックを

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする