草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

福島県の復興のために今こそ会津出身者の力を!

2012年07月04日 | 災害

 会津に住んでいる私が、今声を大にして訴えたいのは、故郷を離れた会津出身者に、一肌も、二肌も脱いで欲しいということだ。ともすれば会津人は、身内に厳しいところがある。それで嫌がられてしまうのだ。南会津生まれの梁取三義も「俗に仲間ぼめ、身びいき、自慢話を得意としない共通点をもっているのは確かだ。大体会津の教育は内に厳しく外に緩やかであった。それが会津の教育の方針でもあったが、藩内各地の農家でもやはりそうした教育が普及していた」(『会津鶴ヶ城』)と書いている。また、司馬遼太郎が会津人を「同僚や知人の批評をするのに、骨を刺すような冷たい言葉を浴びせる、思わずひやりとすることがある」と語ったのは、あまりにも有名だ。それだけに、二度と戻りたくないし、関係したくいない気持ちもよくわかる。社会的な立場を手にしても、郷党の者たちから評価されるのは、ほんの一握りである。自虐的なイロニーと呼ばれる会津人気質は、自己主張することを卑しんだ精神風土から生まれたという。口舌の徒を嫌うのも、そのせいではなかろうか。しかし、たとえそうであっても、会津を含めた福島県は悲惨な状況にあり、このままでは福島県が消滅しかねない。原発事故の影響はじわじわと出てきており、観光地も閑古鳥が鳴いている。会津にゆかりのある人たちの協力を得ることができれば、もう一度福島県は再生できると思う。頼りになるのは、深い郷土愛で結ばれた身内の力なのだから。


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判官びいきの日本人の同情集める小沢一郎!

2012年07月04日 | 思想家

 司馬遼太郎というのは歴史家というよりも、人生論の達人ではないかと思う。時代のなかで翻弄された者たちの後姿を、小説において垣間見せてくれるからだ。とくに『義経』の終わりの章などは、その典型ではないだろうか。義経が衣川で自害し、その首が鎌倉に運ばれてきたとき、頼朝が「悪は滅んだ」と言ったことを取り上げ、それを耳にした者たちの戸惑いを見逃さなかった。「なるほど、国家の機能をあげての弾劾と追跡をうけた義経は、悪といえば類のない悪であるかもしれなかった。が、『悪』ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを漏れきいた世間の者も、また京の延臣たちも、―悪とはなんだろう。ということを一様に考えこまざるを得なかった」。頼朝に追われて都から西国に去るにあたっても、義経は略奪や放火もせず、天子や法皇を連れ去ることもなかった。頼朝と争う気持ちは微塵も持ち合わせていなかったのである。しかし、後の世に英雄として語り継がれたように、大変な力を周囲に及ぼしたことは確かだ。それを恐れるあまり、頼朝は肉親の弟を「悪」と呼んだのである。政治はいつの世もそんなものなのである。小沢一郎を民主党から排除したことで、野田佳彦首相の政治的力量を評価する向きもある。しかし、判官びいきもまた世の常である。小沢が追い落とされたことで、かえって同情が集まっている。日本人は頼朝よりも義経の方が好きなのである。

 
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