草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

喜多方の侘び住まいにて 5首

2012年07月03日 | 短歌

喜多方の月見町とは悲しけりしとしとの雨侘び住まいかな

心合う友ありせばと思えども手酌の我を噛みしめており

遊離たる人の世の常はかなくも息絶えし日の幻を見ん

梅雨なりしさびしき会津振り捨てて峠を越えし人あまたあり

西国の女ことばのゆかしさよ鄙たる大地縛られし身に


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私怨による抗争劇がまかり通る日本の政治を嗤う!

2012年07月03日 | 思想家

 カール・シュミットの友・敵の概念は、日本人には理解できないのではないかと思う。本来の政治的な敵というのは、競争相手とか、個人的な私怨によるものではないのに、今回の民主党の抗争劇では、何のことはない小沢一郎が好きか嫌いかのレベルである。シュミットは「敵とはただ少なくとも、ときとして、すなわち現実的可能性として、抗争している人間の総体ー他の同類の総体と対立しているーなのである。敵には、公的な敵しかいない」(『政治的なものの概念』田中浩・原田武雄訳)と書いている。個人的な感情を抜きにした、抹殺の対象が敵なのである。そして、政治とは権力の分け前にあずかろうとする闘いであり、そこでこそ「友・敵という政治的結束の究極的帰結が露呈する」(同)のである。しかし、民主党の執行部も小沢グループも、そうした厳しさが見られない。成り行き上袂を分かった感じである。おたおたしてしまい、離党を思いとどまる者がいたのも、深刻に考えていなかったからだろう。公的な敵を想定することなく、その極限に立とうとしない日本人の政治は、いつになっても中途半端である。しかし、それが通用すると考えるのは甘い。中共、ロシア、韓国、北朝鮮は、日本を友として扱っていない。チャンスがあれば叩きのめそうと、虎視眈々と狙っているのだ。現在のような冷酷な国際社会にあっては、友・敵の概念を無視することはできず、日本は国家として身構えるべきなのである。


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