寝ぼけたる眼ひらけよ国の危機一途な思い幾人ありしや
若者が命ささげし日の丸を高く掲げて国を救わん
あまたなる若人ひしめく海に空に遠つ祖も今立ち上がる
かくまでに乱れたまいしこの国に乙女のごとき純情ありしや
盃砕き武者震いする若者よ命捨つる祖国ありしと
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寝ぼけたる眼ひらけよ国の危機一途な思い幾人ありしや
若者が命ささげし日の丸を高く掲げて国を救わん
あまたなる若人ひしめく海に空に遠つ祖も今立ち上がる
かくまでに乱れたまいしこの国に乙女のごとき純情ありしや
盃砕き武者震いする若者よ命捨つる祖国ありしと
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国を守るという崇高な使命が軽んじられてきたのが、戦後の日本であった。その風潮を煽ったのが進歩的文化人であり、サヨクがかったジャーナリズムであった。戦って倒れた者たちを無駄死にだと決め付けてきたのである。そんななかで、一人気を吐いたのが福田恆存であった。『言論の自由といふ事』に収録された「乃木将軍と旅順攻略戦」で、旅順攻略戦で散華した将兵たちの死を、高く評価した。「ぺトンの強靭な防禦力、敵の優秀な兵器や物質的な優越、さういふものを一切知る事無く、或は敢へて無視して、無謀にも等しい反撃を強行した、その事の可否善悪は別として、それはそのまま当時のヨーロッパ列強に対して背伸びして力を競はうとする明治の日本の苦しい姿勢を物語るものです」。命を結果的に投げ出したからこそ、日本はロシアの植民地にならなかったのだ。ロシア軍将校の毛皮の外套と比べて、日本軍の軍服はあまりにも貧弱であった。しかし、それにもかかわらず、日本軍は突撃を繰り返した。乃木稀典が愚将だったからではない。それ以外の方法がなかったのだ。今の日本も危機に直面しているが、旅順攻略戦で散った者たちの精神を、私たちは思い起こすべきだろう。国のために死ぬことは尊いからだ。
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私が松崎哲久という名前を目にしたのは、中央公論社から出た『自民党政権』の執筆者としてであった。東大教授の佐藤誠三郎と共著であったが、保守派論客として、彗星のごときデビューであった。今から20年以上前のことである。期待していただけに、政治家に転身したと知って、ガッカリしたのを覚えている。最初は自民党から立候補して敗れたが、それであきらめればよかったのである。新党日本の政策を立案したのは了としても、再挑戦するために、タスキをかけて飛び回る必要があったのだろうか。個性ある学者は、人とうまくやっていけないのである。言わせてもらえば、小室直樹が政治家になったようなもので、トラブルメーカーになるのは必至だ。小沢一郎には可愛がられていたようだが、現実の政治と学問とはまったく別なのである。それに、松崎としては、自民党に戻りたかったのではなかろうか。サヨク政権を支えている自分が愚かに見えたに違いない。根っ子の部分で、自衛隊に馬鹿にされているという思いがあったために、傲慢に振舞ってしまったのだろう。スーパーエキセントリックが通用するのは学問の世界だけであり、政治家という人気商売に足を踏み入れたのが、そもそもの間違いなのである。
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