2024/08/19放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は、「わたしの時はまだ来ていない」という題でお話ししましょう。
「わたしの時はまだ来ていない」とは、イエス様の兄弟たちが、「ユダヤで仮庵の祭があるのでこんな田舎に引っ込んでいないで、みんなの前に自分を公に現わした方がいいのではないか」と言った時のイエス様の答えでした。ヨハネの福音書7章6節から9節です。
さて、この「わたしの時はまだ来ていない」というイエス様の答えには二つのことが考えられます。
一つは、「わたしがユダヤの仮庵の祭に行く時はまだ来ていない」という意味に取れます。
もう一つは、イエス様がユダヤに行き苦難を受けて十字架にかかる時はまだ来ていない、と取ることができます。
イエス・キリストの時、すなわち神の時というものは神の素晴らしさがもっとも現わされる時であり、私たちにとっても最善の時である、ということです。
しかしイエスの時と比較して、「あなたがたの時はいつも備わっている」とイエス様は兄弟たちに答えました。
兄弟たちの時はいつも用意され準備されているのです。イエスの兄弟たちを含め誰もが祭に行くのも行かないのも自由であり、祭に受け入れられ、祭は多くの人々を待っていました。
一方、イエス様にとっては自分を殺害しようとするユダヤ人たちが祭で待ち構えていたのです。しかし、イエス様の十字架の死はこのことばの一年後でした。ですから、「わたしの時はまだ来ていない」とイエス様は言われたのです。
そして、人々から憎まれ殺されるその理由をイエス様はこのように語りました。「この世があなたがたを憎むことはあり得ない。しかし、わたしは憎まれている。わたしが世の行いの悪いことを証ししているからである」
イエス様の兄弟たちはこの世と仲良くしていましたのでこの世から憎まれることはありませんでした。しかしイエス様はこの世の悪を断罪していたのです。ですからこの世からは憎まれました。
さて、聖書の中に、「今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのだから」ということばがあります。私たちの前にはいつも時が用意され準備されているのです。その時を悪のためではなく神の時として生かしてまいりましょう。
( PBA制作「世の光」 2024.8.19放送でのお話しより )
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******
このサイトは URL名として http://yonohikari.biblica.info が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。