2024/08/07放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか?今週は福井誠が担当しています。今日はその三日め。夏の暑さも忘れる程この時間集中してまいりましょう。今日も新約聖書のマタイの福音書1章から読んでまいります。「神が私たちとともにおられる」と題してお話しします。マタイの福音書1章23節をお読みします。
「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』 それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である。」
マタイは、イエスが約束の救い主である証拠としての系図を書き記した後、続いて、実際にイエスがお生まれになった時の様子を書いています。
それは訳ありでした。当時のイスラエルでは、婚約は事実上の結婚を意味しました。しかしその期間中に夫ヨセフの与(あずか)り知らぬ所でマリヤが身ごもっていたのです。
恐らく当時もこの件については様々な憶測また議論があったことでしょう。しかしマタイは、マリヤのみごもりを何らかの事件によるのではなく神の奇跡によるものであった、と語るのです。
既にマタイは、1章の前半でイエスの人間としての起源について語りました。系図を丁寧に書き記すというのはそういうことです。イエスがどの様な家に生まれ、どのような家柄の人であるかを示しています。
しかし、この後半からは神としての起源について語っています。つまり、イエスは人間としてお生まれになりながら、同時に神の子としてお生まれになった神でもあるのだ、と言うことです。
後にイエスは神と人の仲介者として紹介されます。仲介者は仲介する2の立場をよく知っている人が選ばれます。処女マリヤから生まれることは、イエスが神の側と人の側いずれの側にも関わるお方として必要な神の奇跡でした。神は神であられる方なのに人を良く知っておられるお方です。何とも心強いことです。
「神が私たちとともにおられる」ということばは、決して口先のことではなくて事実を語っているのです。そうであればこそ、神に心を開き、あれこれ祈ることも確信が持てるのです。
( PBA制作「世の光」 2024.8.7放送でのお話しより )
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