2024/08/14放送
「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。
時々高齢のクリスチャンから、もし自分が認知症などで記憶を失って神様のことを忘れてしまったらどうなるんだろう、という心配の声をお聞きします。きっと、信じてきた神様の記憶が消え去ったら、救われていることも取り消しになるんじゃないか、と心配になさっているんでしょう。
そんなとき私はいつもこう答えています。「大丈夫ですよ。記憶がなくなっても あなたの信仰はなくなりませんし、救いも取り消しにはなりません。あなたが神様を忘れても 神様はあなたを決して忘れてはいませんから。」
旧約聖書イザヤ書49章15節にはこう書かれています。
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。」
母親が自分の乳児であるわが子を、お腹の中のわが子を、忘れることなどあり得ないでしょう。たとえ母親がわが子を忘れることがあったとしても神様はあなたを忘れることはない、とおっしゃいます。
さらに続く16節にはこう書かれています。
「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」
これは例えなのですが、神様の手の平には、救われた 神の子となった者の名前が記されているんです。いや、記されているのでなく刻まれている、というのです。それはインク書きでなく入れ墨です。インクなら消えるかもしれませんが、入れ墨ですから絶対に消えることがありません。
聖書が記す救いというものは人間側の記憶の有無に左右されることではありません。ただただ信じた者の名を手のひらに刻む神様の側に救いの確かさはあるのです。
神様が手の平に名を刻むかのように忘れることがないのはその愛のゆえです。母親がわが子を思うその愛に勝る愛で 神様はあなたを愛しておられます。その愛のゆえに神様はあなたを救ってくださるのです。そして、この愛のゆえにその救いは取り消されることがないのです。
ラジオの前のあなたもこの神様の愛を受けとめて歩みませんか?
( PBA制作「世の光」 2024.8.14放送でのお話しより )
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