2024/07/31放送
「世の光」の時間です。私は東京・新宿区にある西落合キリスト教会の牧師・安井聖です。
新約聖書マタイによる福音書第6章7節に、このような主イエスのことばがあります。口語訳聖書で朗読します。
「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。」
知り合いのキリスト者が自分の子どもの頃の経験を思い起こして、こんな話をしてくれました。
「私は小さい頃、寝小便に悩まされていた。その頃、教会学校に行って祈ることを教わっていたので、寝る前に『おしっこを漏らしませんように』と祈った。一回祈っただけでは不安だから、何度も何度も繰り返して祈った。繰り返せば神に聴いていただけるんじゃないか。しかしその祈りはまさに異邦人、つまりまことの神を知らない人たちのように、くどくどと同じことばをただ繰り返す祈りだったんだと思う。」
神に聴いてていただけるか不安で、とにかく言葉数を多くして、くどくどとお願いしたくなる気持ちは、私たちにもよく分かるんじゃないでしょうか。
でも、「これだけ祈れば大丈夫」と自分を納得させるためにことばを連ねて祈っても、心から不安が消えるわけではありません。そのような祈りは神を見上げているようで、実は「自分がどれだけたくさんのことばを重ねたか」と自分ばかりを見つめてしまっているのかもしれません。
主イエスはそんな私たちに驚くようなことばを告げられます。
8節 「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」
「神が全部知っておられるのなら、もう祈る必要はない。」そんなふうに主イエスは思わせようとしているわけではありません。「あなたが祈る前から、神はあなたに必要なものを全部知っておられる。それならあなたは、いつでも安心して神の前に立つことができるじゃないか。神はあなたの父なんだ。父があなたのすべてをよく知っておられるんだから、あなたはこのお方に安心して心を開いて、何もかも打ち明けることができるんだよ。」
主イエスはそう語りかけて、心から神を信頼して祈るように招いておられます。
( PBA制作「世の光」 2024.7.31放送でのお話しより )
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