2024/08/21放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は、「イエスの教え」という題でお話ししましょう。ヨハネの福音書7章14節からです。
さて、仮庵の祭も半ばになった頃です。イエス様はエルサレムの神殿に上り、全国から巡礼に来た人々に教えられました。
するとユダヤ人たちは驚いて互いに言ったのです。「この人は正式な学問をしたこともないのに、どうして律法の知識を持っているのだろうか。」
「律法の知識」というのは旧約聖書全体の知識ということです。モーセの律法の書、預言書、そして詩書という三部作からなる旧約聖書をイエス様は人々に語り、教えたからです。
イエス様はエルサレムの都で旧約聖書の正式な学問を学ぶことはありませんでした。しかし旧約聖書の知識を豊かに持っていたのです。
その理由をイエス様は次のように言いました。
「わたしの教えはわたし自身の教えではなく、わたしをつかわした方、神の教えである」
イエス様の教えは自分をこの世に遣わした天の父なる神様の教えであって自分の考えや思想ではない、と言っているのです。
イエス様は神から遣わされた神のひとり子です。ですから、父なる神そのものの教えを具現するのは朝飯前のことでした。
そしてこう付け加えます。
「自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分をつかわされた方の栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない」
イエス様の33年間の生涯、特に最後の3年間の公生涯は、父なる神様の栄光と素晴らしさを求める生涯でした。その生涯は真実の生涯であり、偽りのない生涯だったのです。まさに神様の教えを信じ、神の教えに従っていました。
イエス様の教えがこの21世紀の現代に至るまで私たちにとって有益であるということは何を意味しているのでしょうか。それは、イエス様の教えが、時代を超え、また民族を超え、文化を超え、真実なものであり、偽りのないものだからです。その根拠はイエス様が天の父なる神様のみこころをひたすら実践していたからです。
私たちの人生の目的も神様の栄光を現わし、神様を喜ぶ生涯でありたいものです。
( PBA制作「世の光」 2024.8.21放送でのお話しより )
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