2020/9/30放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。エゼキエル書26章14節から「主であるわたしが語ったからだ」と題してメッセージをお伝えいたします。
「わたしはおまえを裸岩とする。おまえは網干し場となり、二度と建て直されない。【主】であるわたしが語ったからだ。──【神】である主のことば。」
ええ今日の箇所から28章までがイスラエルの近隣の国・ツロに対する預言となっています。それはパレスチナ北部の地中海沿いに位置する商業都市でした。その都市に向けて、紀元前586年、エルサレム陥落直後、神のことばが伝えられるのです。その内容は、ネブカドネツァルがその町を包囲しツロが壊滅的な打撃を受ける、というものでした。
当日、ツロの人々はエルサレムを通る国際通商路において特別な通行税を課せられていました。 ですからエルサレムがバビロンによって滅ぼされた時に、その陥落を喜んだとされます。通行税の利権が自分たちに回ってきたからです。エルサレムに集中していたお金の流れは今度はツロという商業都市に流れ込み、ツロが豊かになるだろうというわけですね。
しかしこのように自分の損得を考えて喜ぶツロを神は喜びませんでした。箴言には、「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。 【主】がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。」(箴言24章17、18節)とありますが、まさに神はツロの態度に心を痛められたのです。
神はツロに裁きの宣告をされます。もはや原始的に網を打って漁をする以外に稼ぎの手段のない、そういう町になってしまう、と宣告されていますね。
大切なのは生ける神の意志があるということです。しばしば人は商売敵が破れ去ると、そこに貪欲な夢を馳せることがあります。 次は自分の出番だと。そしてそのような人が現れると驚異を感じます。しかしどんなに時が味方しているようであれ、神がお許しにならなければ、そんな野心は露と消え去るものでしょう。なぜなら、「主であるわたしが語ったからだ」という生ける神の意志があるからです。実に恐るべき方は神様です。
人生において神の意志を尊重する、そんなことは考えたこともない、という方もおられるかもしれませんね。 しかし、世の中の動きを注意深く見ながら悟りを得たいものです。
では良き一週を祈ります。
( PBA制作「世の光」2020.9.24放送でのお話しより )
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