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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしは生きている / 福井 誠

2021年03月03日 | Weblog

2020/9/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。エゼキエル書5章11節から、「わたしは生きている」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「それゆえ──神である主のことば──わたしは生きている。あなたが、あらゆる忌まわしいものと、あらゆる忌み嫌うべきことによって、わたしの聖所を汚したので、わたしもまた身を引き、あわれみをかけない。わたしもまた、惜しまない。」

 エゼキエル書5章はユダ南王国に対する神様の徹底した裁きを伝えている箇所ですね。実に読んでいて神様が怖くなるような、そんな気持ちにさせられます。

 しかし先週も神様の本質は愛であると語りました。問題はこのような結果をもたらした人間の頑なな歩みがあったということでしょう。
 
 元々、イスラエルの民はエジプトの奴隷状態から救い出され、約束の地カナン、現在のイスラエルに住み着くようになった人々です。彼らはイスラエルにやって来る前に、シナイ山という場所で神様と契約を結びました。エジプトの奴隷状態から救い出してくださった神をあがめ、その神のみに仕え、神の民として生きるなら、神は飢饉と悪い獣、疾病と虐殺から守られる、と。しかしそうでないならば、これらの災いが下される、と教えられて、そう語る神様と契約を交わしたのです。

 けれどもその後のイスラエルの歩みは、救いの神を崇め神のみに仕え神の民として生きるものではありませんでした。

 神は忍耐に忍耐を重ね、イスラエルの人々が悔い改めて立ち返ることを待ち望んできましたが、彼らは神に背を向け続けてきました。それが旧約聖書の長い歴史に書かれてきたことですね。そしてイスラエルの人々は、とうとう国を失い、痛い目にあって神様との契約を思い出して行くのです。酷い目に合わなければ悟れないような者であってはならないとは思いますが、人間とは愚かな者です。迷いやすい人に、熱い心をもって歩むべき道を語ってくださるお方がおられます。いつもそのお方を覚えて謙虚に歩ませていただきたいものです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.9.9放送でのお話より )

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  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
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