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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書33 - 想像以上のお方 / 大嶋重徳

2021年03月11日 | Weblog

2020/9/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。ルカ福音書2章にはシメオンという人物が出てきます。

 イエス・キリストに会うまでは死なない、というお告げを信じ、神殿でキリストを日々待っていたのです。純粋な素直な信仰です。

 ではシメオンはいかにしてそのような信仰に生きることができたのでしょうか。聖書には、「この人は正しく敬虔な人で、イスラエルの慰めを待ち望んでいた。」とあります。シメオンの望んでいたことが、自分の住んでいるイスラエルが慰められることを待ち望んでいたのです。信仰の荒れ果てたイスラエルに神様の慰めがもたらされるように祈り続けていたのです。

 シメオンのような純粋な信仰が育てられた場所は祈りの中でした。シメオンは自分のことを祈るよりも、この国のために、慰めの必要な誰かのために祈る祈りに生きる人でした。シメオンの待ち望んでいた慰めとは、イスラエルの国の人々が神様によって救われることでした。彼は執りなしの祈りの中にいたのです。

 執りなしとは誰かのために祈ることです。執りなしの祈りの中にいるとき、聖霊の働きと導きを何より感じ取ることができる場所となるのです。

 さらにシメオンは赤ちゃんのイエス様を抱き上げた時にわかったのです。自分はイスラエルだけの慰めを待ち望んでいたけれども、この赤ちゃんは万民の前に備えられ、異邦人をも照らす啓示の光、世界中の人々に慰めをもたらすキリストであったことが分かったのです。自分の願っていた願いを超えた全世界の救いとなるキリストが今、自分の腕の中にいる。・・・震えるような思いにさせられたでしょう。

 そしてシメオンはここで十字架が見えたのです。彼は十字架の預言をします。そして想像を超えた神の救いのみわざが見えていたのです。

 私たちはシメオンのように自分のために祈ることよりも誰かのために祈るとき、その祈りが聞かれることの大きな恵みを体験することとなるでしょう。神様は私たちが誰かのために祈ることを喜ばれる神です。なぜならば神様ご自身が私たちのために執りなし、祈ってくださる方だからです。私たちが聖霊なる神に導かれるとき祈った通りになる以上のことを経験します。私たちが待ち望んでいたこと以上のことをなさる神の凄みを経験するのです。

    ( PBA制作「世の光」2020.9.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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