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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■「神はいない」と言う / 福井 誠

2019年12月11日 | Weblog
2019/10/30放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇14篇1節から「『神はいない』と言う」と題してメッセージをお伝えいたします。

  愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて 忌まわしいことを行う。 善を行う者はいない。 

 14篇の冒頭には「愚か者は心の中で『神はいない』と言っている」とありますが、ここで「愚か者」と訳されたヘブル語はナバル。それは知能的な愚かさではなくて、意図的に神に心を閉ざし、逆らう者を意味していますね。「攻撃的なつむじ曲がり」という翻訳もあります。彼らの特徴は二つ。神の律法をあざけること。そして神の民を抑圧することです。彼らはパンを食らうように神を愛する者を食らう。つまり空腹な獣のように弱い者を食い物にする者たちです。

 いったいダビデはこの章をどのような状況で歌ったのでしょうか。アブシャロムが謀反を起こした時、あるいは聖書の記録にはない非常に追い詰められるような出来事があった時とも言われています。しかしながら注目したいのは、この詩篇は53篇とその内容がよく似ていることです。それは個人的な経験から書かれた詩篇14篇をあとで侵略や包囲の脅威などの国家的危機に合わせて改訂したものだと言われているものです。ダビデが旧約聖書の中でその意を汲みながら国家的な規模の救いを願う内容に改訂されたという訳ですね。

 ところが新約聖書では更にもっと違った読み方がなされています。パウロはローマ人の手紙3章で、この詩篇を引用して、愚か者をある特定の悪人や国家ではなくて全人類として解釈し引用しているのです。つまり初代のキリスト教徒はこの詩を、ダビデの個人的あるいは国家的な抑圧の状況ではなく、全人類の罪の状況を語るものとして読んだのですね。自分も含めてすべての人がこの愚か者に価して、そこから救われる必要がある、と読んだのです。謙虚に自分の罪深い現実を認めて、救い主である主イエスを受け入れていく者でありたいものです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.10.30放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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