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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしは世の光です / 福井 誠

2019年12月18日 | Weblog
2019/12/11放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨハネの福音書8章12節から「わたしは世の光です」と題してメッセージをお伝えいたします。

 イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」 

  今年もクリスマスが近づいてきましたね。クリスマスはイエス・キリストの誕生日である。だから喜ばしいというものですが、キリストはどんな方であるか、それを知ればますますその喜ばしさを実感できることでしょう。そこで今日は、イエスが語られた一つのことばに注目したいのです。イエスは「わたしは世の光である」と語られました。その語られた状況を少し御説明したいと思います。

 イエスはこのことばを、ある姦淫の現場で捕まえられた女性の裁判の後で語りましたね。それはイスラエルでは極刑に値する罪を犯した女性を、イスラエルの掟通りに石打ちの刑に処するかどうかを判断するものでした。イエスを囲んだ指導者は、「イエスよ、あなたは憐れみ深い人だと言うが、その評判通りにイスラエルの掟を侵してまでもこの女性を赦す甘い裁判をするのか。それとも、イスラエルの掟の通りに処刑を命じてこの女性を見捨てる辛い裁判をするのか、どちらか?、と迫ったわけです。しかしそれは真面目に法律を議論するものではなくて、この惨めな女性を利用してイエスをことばの罠にはめて、教師として失脚させようと企むものでした。なんとも、そのように人をもて遊ぶような社会には希望がないものですね。

 しかしイエスは訴える者に対して、「あなたがたの内、罪のない者がまず石を投げなさい。」と、人をもて遊ぶ自らの人間性を振り返るように迫り、反省を促し、さらにこの女性には、「誰も罪に定める人はいない。」と、新しい人生を歩みように励ましたのです。実にイエスの良心に希望を感じるところですね。まさに「わたしは世の光です。」とイエスが語られたことばに納得するところです。

 このクリスマスの日、人生の難題に光を与えるために来られたキリストを、さらに深く知っていただきたいと思います。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.12.11放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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