♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしは世の光です / 関根弘興

2019年12月20日 | Weblog
2019/12/13放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 クリスマスの時期がやってきましたね。ヨハネの福音書8章12節のことばを今日は紹介しましょう。
 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。

  イエス・キリストは「わたしは世の光である」と言われたんですねえ。つまりこの世はイエス・キリストがいなければ暗闇のままだ、というとても大胆な宣言のことばなんです。

  聖書が教える「世」とは一体何でしょう。
  それは神様抜きの世界という意味なんですねえ。またそれは私たち一人一人のことでもあると言ってもよいのです。

 昔、小学生の集まりで、もし太陽がなくなったらどうなると思いますか?、と尋ねました。するといろんな答えが返ってきたんです。みんな凍えて死んでしまうとか、何も見えなくなってしまうとか、中には洗濯物が乾かないと可愛らしい答えを出した子もいました。

 光というものは生きる上でとても大切な役割を持っています。私たちはそうした光なくして人生を歩むことができません。実はそれは私たちの人生の道を照らし、行くべき方向を示す光も必ず必要だということなんですね。

 ところが誰もが喜んで光を受け入れるかというとそうではないように思うんです。なぜなら光によって今まで見えなかった汚いもの、自分が見たくないもの、人に見られたくないものまでが光によって照らし出されてしまうということがあるからです。

 冷蔵庫の裏側を懐中電灯で照らしてみてください。想像できるでしょ? タンスの暗い隙間を照らしてみてください。何が見えますか? そう、暗闇にはゴミがたまるんですねえ。光に照らされるということは事実を突きつけられるということでもあるんです。自分の姿をまざまざと見せ付けられることもあるでしょう。それは時にはとても辛いことです。

 しかしイエス・キリストは私たちの心を照らしてくださる方として来てくださいました。すると何が見えますか。醜い自分や、汚い自分や、高慢な自分が見えてくるのです。本当の自分の姿を知ることになるんですね。

 しかし自分と正直に向き合うことなしに本当の赦しの恵みを味わうことができません。光に照らされなければ本当の人生を歩むことができない、と聖書は教えるんです。イエス・キリストは私たちの心を照らしてくださるお方です。そして光に照らされていくなら闇は必ず消えていくんです。

     (PBA制作「世の光」2019.12.13放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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