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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■高価買取 / 水谷 潔

2019年12月14日 | Weblog
2019/11/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 水谷 潔です。

 最近はリサイクルショップが増えて、看板や広告で「高価買い取り」ということばをよく目にするようになりました。実は「高価買い取り」と目にするたびに私はある聖書の言葉を思い起こすんですねえ。それは「贖(あがな)い」ということばです。「贖い」とはあまり日常で使わないことばですが、聖書の中ではもともとお金を支払って何かを買い取ることを意味します。

 では何を買い取るのでしょう。宝石でしょうか、田畑や土地でしょうか? いいえ、買い取るのは人間です。古代世界では人間が売り買いされるという奴隷制度がありました。ですから聖書に出てくる贖いの多くは主に奴隷となってしまった家族や知人をお金を支払って買い戻すことを意味しました。
 しかし聖書に記されている贖いはそれだけではありません。実は聖書の中心は、神様が私たち人間を贖われた事、代価を支払って買い戻してくださった事にあります。

 聖書によれば私たち人間は、神様に愛され神様を愛し神様とともに生きる存在として造られました。しかし神様に背を向けて歩み始めた結果、私たちは罪の奴隷となってしまいました。死と恐れに支配され、喜び、希望、平安を失って歩まざるを得なくなりました。さらには神様に背を向けて歩む罪のために永遠に滅ぶべき者となってしまったのです。しかし神様はそんな私たちを愛し、大きな代価を支払って私たちを「買い取って」くださいました。私たちを買い戻し、もう一度神様のもとに引き寄せてくださったんです。そしてその買い取りのための代価が神様の独り子イエス・キリストのいのちだったのです。

 新約聖書テモテへの手紙第一の2章6節は言います。
 「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。

 イエス・キリストのいのちという代価が支払われ、私たち人間は買い取られているのです。支払われた代価は神様の独り子のいのちなのですから、まさに高価買い取りです。

 町や新聞・雑誌等で「高価買い取り」という言葉を目にしたら、どうか聖書の記す「贖い」を思い出してください。そして支払われた代価を覚えて、自分がどんなにかけがえのない高価な存在であるか確認していただければと願います。

(PBA制作「世の光」 2019.11.2放送でのお話より )
 
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 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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