♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■サウロの回心 -3 / 板倉邦雄

2019年06月18日 | Weblog
2019/5/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「サウロの回心 その3 」、 サウロの回心を通してキリスト教での回心についてお話しします。使徒の働き9章です。

 さて、ダマスコの町にアナニヤという一人のキリスト信徒がいました。この人に主イエスが現れて言われました。「アナニヤよ、サウロというタルソ人を訪ねなさい。彼は今、祈っています。」 サウロは失明の中で三日間、何を考え何を祈っていたでしょうか。罪のないステパノを死刑にしたこと、ナザレのイエスを信じる人々を脅迫し、暴力を振るい、縛りあげて獄に投げ入れて苦しめたこと、それが神の子主イエスを迫害していたことです。ああ何と神を畏れぬ、人を人とも思わぬ悪行三昧でしょうか。今までの考え方、今までの生き方を悔いて祈っていたのではないでしょうか。

 回心の第一歩は理性において考え方が変わるということです。サウロは三日間の祈りの生活の中で心からその悪行を悲しみ悔いていたのではないでしょうか。ですから回心の二歩目は心からの罪悪の告白です。罪と悪を悲しみ嘆き、離れることではないでしょうか。
 聖書のことばです。
 「罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
  苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。」
( ヤコブの手紙 4章8節、9節 口語訳聖書 )

 そして主イエスはサウロに新しい使命を与えました。「あの人サウロは、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだものである。わたしの名のためにサウロがどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」(参照 使徒の働き 9章15節、16節 )

 サウロの回心は理性に於いて考え方が変わるだけではありませんでした。また感性に於いて罪と悪を悲しみ悔いただけではありませんでした。サウルは意思に於いて神のために生きてゆこう、イエスの名のために苦しむことによって今までの人々への脅迫、暴力、殺害の償いをしてゆく生き方に変えられていったのです。ですから、回心の第三は、意志において生き方が変えられてゆくことなのです。

  (PBA制作「世の光」2019.5.14放送でのお話より )

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