♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■彼は主に信頼していた / 福井 誠

2019年06月26日 | Weblog
2019/5/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
  継続は力なり。聖書を一日一日と読み進む毎に不思議にも自然と養われていくものがあるものですね。では今日も聖書を開いて参りましょう。今日は列王記第二18章5節から「彼は主に信頼していた」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

 当時イスラエル北王国がアッシリヤ帝国に滅ぼされ、続いてユダ南王国もその勢いに呑み尽くされそうな状況がありました。しかしヒゼキヤはその絶体絶命の危機の状況にあって、神に助けていただく信仰に立つのです。望み得ない時にこそ神に望みを持つ、それはよく語られることですが、実際にそのように確信に立ち続けることができるかどうかは別問題です。けれどもヒゼキヤはそのような状況にあって神を仰ぎ、神に心を開き、神の憐れみによってこの危機を乗り越える覚悟を明らかにしました。そして主に信頼したその姿勢を高く評価されて聖書に記録される王様となったのです。

 実際に彼はどのようにこの時を過ごしたのか、次の19章にそれは詳しく描かれています。彼は降伏を勧めるアッシリヤの手紙を手にすると、それを主の宮に携えて行って主の前に広げ祈ったとされます(参照 列王記第二19章14節)。彼は悩まず、嘆かず、ただその危機的な状況をありのままに神に訴え、助けを求めました。彼は単純に自分の無力さの中で神によりすがったのです(参照 列王記第二19章15-20節)。結果、アッシリヤの軍隊から彼は救い出されます。それは神の不思議でした。更に神はこの時、「荒れた畑は修復され、しばらく途絶えていた収穫が再開し、下に根を張り、上に実を結ぶ。」(参照 列王記第二19章29、30節)と祝福を約束されました。

 人生には、身内も友人も助けにはならない、組織も助けにはならないことがあります。そして下に根を張る余裕など全く考える事などできず、なす術尽きて、ただ坂を転げ落ち、すべて失っていくだけの思いにとらわれることもあるものでしょう。しかし、どのようなどん底にあっても上を見上げましょう。天地を造られた神に望みはあるのです。

 では良き一週を祈ります。
  
 (PBA制作「世の光」2019.5.22放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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