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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■高い地位にある人たちのために / 羽鳥頼和

2017年01月07日 | Weblog
2017/1/7放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は新約聖書テモテへの手紙第一の2章からお話しします。

 テモテへの手紙は使徒パウロがエペソの教会の若い牧師テモテに宛てた手紙です。2章にはキリスト教会に対するアドバイスが語られています。そこで勧められていることはこうです。
 「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(1節)

 教会の中で、すべての人のために、特に王と高い地位にある権力者のために祈るようにしなさい、というのです。それには二つの理由がありました。

 一つ目の理由は、「私たちが敬けんに、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」(2節) 

 当時はローマ帝国が支配をしており、ローマの皇帝を崇拝することが奨励されていました。そのような中で唯一のまことの神を礼拝することができるように、時の権力者のために祈りなさい、というのです。また礼拝だけでなく毎日信仰持って生きることができるように、時の権力者のために祈りなさい、というのです。その祈りは権力者に批判的であったり敵意を抱いてというのではなく、とりなしと感謝をもって祈りなさい、というのです。

 たとい神を信じない権力者であっても、主にあって、その人のために祈るのです。

 権力者のために祈るという事を勧めるもう一つの理由は、「そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれること」(3節)だからです。
 権力者のために祈る事は神が喜ばれることなので、そうするのです。

 なぜ神が喜ばれるのかについても聖書は語っています。それは、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられ」(4節)るからです。神は権力者にも救いを与えようとされています。このように教会は、自分たちが神を心から礼拝できるように、そして信仰をもって生きることができるように、祈るのです。そしてすべての人の救いのために祈るのです。

 明日は日曜日です。キリスト教会では神に礼拝をささげます。礼拝をささげるために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.1.7放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■悩む者の祈り / 岩井基雄

2017年01月06日 | Weblog
2017/1/6放送

 世の光の時間です。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。岩井基雄です。新しい1年のスタート、皆さんはどのような思いで始められたでしょうか。聖書が語る神様と、恵みと愛に生かされる人生はどんな状況の中をも確かな希望を持って歩むことができるのです。

 さて今日は、旧約聖書の詩篇102篇の前半から、「悩む者の祈り」と題して、悩みの中にあっても神様の恵みに信頼し委ねて歩む人生について共に考えてみましょう。

 詩篇102篇の1節と2節をお読みします。
 「主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。
  私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。

    旧約聖書 詩篇102篇1節から2節

 この詩篇には「悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの」という表題がつけられています。この詩篇の作者は、何らかの理由で悩み苦しみ、その嘆きや痛みをそのまま神様に告白し、心を注ぎ出しているのです。

 私たちの悩みはそれを心から聞き、一緒に悩みにとどまってくれる存在によって軽くされていきますよね。友の存在は本当に重要です。この詩篇の作者は、すべてを創造された神様の前に自分の思いや悩みを全く隠しません。そしてその痛みや思いをすべて告白するのです。それは悩みのすべてを神様に信頼し明け渡す祈りであり、心からの叫びです。悩みの答えがたとえ見えなくても、すべてを神様の前に告白し、委ね、明け渡すことができるときに、神様に信頼する者は不思議で豊かな平安を得ることができるのです。あなたもどんな悩みの中にあっても、すべてを御存知で、痛みと痛みを喜びと輝きに変えることのできる神様に信頼し、その愛の中に生かされる人生を歩み出しませんか?

 聖書のことば
 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
  新約聖書 ペテロ第一の手紙5章7節

 神様はあなたの叫びもうめきもすべて聞き、豊かな平安と慰めを与えてくださるのです。

  (PBA制作「世の光」2017.1.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■忍耐強く説く / 福井 誠

2017年01月05日 | Weblog
2017/1/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「忍耐強く説く」です。それでは箴言25章15節から読んでみましょう。

 「忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。

 今日は旧約聖書の箴言を取り上げます。今までずっと一章づつ一つの書を読んできたのに急に飛んでしまったなあと思われますでしょうか。

 実は私は聖書というのは毎日コツコツ読むことが大切だと思うのです。イエス様は「神の国は畑に撒かれた種のようなもので」とおっしゃいましたが、種を撒いて夜が来て昼が来て、そうこうするうちに芽を出して成長し、実を結ぶ、そして時が来れば刈り取ることになる、と喩えられましたねえ。
 実は、習慣的に地味にやっていることというのは、私たちの品性や人格そして行動や振る舞いを形造るとても大切なことですね。しかし何でも簡単に手軽に素早くできることが求られる今のインスタント社会では、そういう地味な努力も忘れられがちです。
 そこで私は毎日、パスター(※牧師)誠の聖書一日一章という聖書通読用のブログをインターネット上に立ち上げていますが、そうしたものを毎日読みながら一週に一度はこのようにラジオを通してその進み具合に合わせてメッセージを語ることで、聖書通読の励みとなり最後まで読み続けることができるのではないかと考えました。

 前置きが長くなりましたがこの箴言、ソロモンが書いたと言われる中で、25章はソロモンの死後約200年ぐらい経ってから書かれたものが発見され、ヒゼキヤ王によって編集されて付け加えられた部分ですねえ。すべてを読むことはできませんが、一つ、心に留めたいことばは15節「忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。」ですね。

 これは実に実際的な知恵です。長くしたたり続けるしずくが岩を削るがごとく、忍耐強く語りかけていく。即席にではなく、ゆっくりと時間をかけて物事を動かす心構えを持って語り続ければ確かに伝わっていくものがあると言いますねえ。聖書を読むことも同じです。生ける神のことばに毎日触れることで、私たちの心は内側から、見せかけではない真に力ある人と変えられていくのです。毎日、聖書を読み進んでまいりたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.1.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■悔い改めの機会 / 板倉邦雄

2017年01月04日 | Weblog
207/1/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「悔い改めの機会」という題でお話ししましょう。

 聖書の中で主なる神様が私たちに求めていることは二つです。神への悔い改めと信仰です。悪いと思ったら悔いて向きを変えることではないでしょうか。民数記の16章の続きです。

 さて、レビ部族のコラの主導のもとでモーセとアロンに対する謀反が起こっています。その仲間の内に、ルベン部族のダタンとアビラム兄弟がいましたね。その他にもう一人、ルベン部族のオンという人がいました。ところがこのオンという人は一回目のモーセとの談合に首謀者コラや同じ部族のダタンとアビラムと行きました。その時、オンは指導者モーセのことばを聞きました。そして悔い改めたのではないでしょうか。モーセはこう言いました。
 レビ部族の謀反人コラは私のことを分を超えていると言っているが、身分をわきまえないのはコラの方ではないのか、と諭されましてオンは身を引いたようです。ところが同じルベン部族のダタンとアビラム兄弟はモーセとアロンへの反逆をやめようとしませんでした。そこでモーセはもう一度説得しようとして二人を呼びに行かせたのです。
 ところが兄弟二人は口を揃えて言いました。「私たちは参りません。モーセさん、あなたは豊かだったエジプトの地から私たちを連れ出して、何もないこんな荒野で私たちを殺そうとしているじゃないですか。その上あなたは、私たちの上に王様のように君臨している。またあなたは牧畜と蜂蜜の取れる土地に連れて行かないし、畑やぶどう畑といった相続地を与えようともしない。」
 その伝言を聞いたモーセは激しく怒って主なる神様に祈りました。「神よ。彼らの供えものを受け入れないでください。私は彼らからロバ一頭をも取ったことはなく、彼らの家族一人も損ねたことはありませんでした。」

 モーセの怒りを買ってしまうということは悔い改めの機会をこの二人の人は逃してしまったことになります。

 聖書のことばです。
  「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
   ヘブル人への手紙3章7節から8節 (口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2017.1.4放送でのお話より )

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■星に導かれて -5 / 大嶋重徳

2017年01月03日 | Weblog


2017/1/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
昨年から続きのクリスマスの物語をお話しします。

 聖書にはイエス・キリストの誕生の際に東の方からやってきて博士たちの物語が記されています。しかし彼らを持っていたのは救い主を殺そうとするヘロデ王ま眼差しでした。東方の博士たちはこの国の状況を見て、がっかりしたでしょう。そして今、自分たちもこんな国に来たせいでギラギラとした殺意に満ちた目でヘロデから「調べてきてね、フフ。後で拝みに行くから。」なんてことを言われても、絶対嘘やん、とそう思わざるを得ないものすごい圧力を受けたのです。今までの自分の旅は何だったんだろう、自分たちはこんな誰も待っていないメシアを探すためにあの遠い東の国から出てきたのだろうか。そしてヘロデの強力な圧力を受けて失望した彼らが出かけようとした瞬間でした。空を見上げると、「見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。」(マタイ 2章9節)とあります。

 ここに「見よ」ということばがあります。このことばは指を指して叫んだことばです。「ここを見よ。」 どんな状況の中にあっても「ここを見つめろ」という強いことばなのです。

 この「見よ」ということばはマタイ1章23節にもあります。
 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

 「ここを見よ。」 神が共におられる救い主が誕生する、と宣言された時のことばです。

 「ここを見よ。」 彼らが空を見上げた時、あの東の国で彼らの心を捕えたあの星が目の前に輝いていたのです。空には地上とは違う原理で動いている星の輝きが彼らの目に飛び込んできました。ヘロデはどう思うかでなく、周囲にいる誰がどう思うかなどとは関係がなく星は輝いていました。この星はヘロデの殺意があろうが、人の卑屈さとも関係なく、変わることなく博士たちをキリストの元に導こうとしていたのです。キリストの元へと導こうとする意志が博士たちの前で輝いていました。

 「ここを見よ。」 この星の輝きが私たちの新しい一年にも輝いているのです。ですから私たちは周りを見るのではなく、ただ主の光の輝きだけを見つめていきたいと思います。そこにはあなたを決して失望させずあなたの人生を導く神様の温かい御手が差し伸べられているのですから。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.3放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■朝ごとに新しい / 関根弘興

2017年01月02日 | Weblog
2017/1/2放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばをお届けいたしましょう。今日は旧約聖書の哀歌3章22節(、23節)のことばです。
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」(哀歌 3章22、23節)

 今日紹介したことば、聖書の哀歌という中にあることばなんですが、この書物はですねえ「哀しみの歌」と書きます。ヘブル語の聖書ではエイカーという書名になっているんです。エイカーというのは、「どうしてなの?、何ゆえ?、ああ!」ということばなんですね。そうしたことばが書名になっているんです。この哀歌が書かれた背景には、自分の国が滅ぼされるという悲劇的な状況がありました。将来の希望も夢も失われ、出て来ることばは、「何ゆえ?、どうして?、ああ!」ということばだけのような状況です。

 しかしこの哀歌の作者は、何と大胆に人生最大の嘆きと哀しみの中で、「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」(哀歌 3章22、23節)と告白しているんですね。

 「ちょっと待ってください。」と言いたくなりませんか? なぜなら恵みも憐れみもすべてが取り去られてしまったかのような状況がそこにあるからです。しかし哀歌の作者は、それでも主の恵みは朝ごとに新しいのだ、と告白しているんです。

 この「恵み」ということばには、「変わらない愛、変わらぬ愛」という意味があります。つまり神様の愛は変わることがなく、神様は決して私たちを見捨てることはない、というふうに作者は語っているんですね。

 そして「憐れみ」ということばには、「頼りがいのある支え」という意味もあります。確かに悲しみや困難はあります。でも神様は決して私たちを見捨てることなく、どんな中にも頼りがいのある支えとなってくださるんだと告白しているんですねえ。順調に行くことだけが恵みなのではありません。失敗によって、時には困難や挫折を経験したり、または突然の悲しみに見舞われるということもあります。でもどうぞこのことばをあなたの心に刻んでいただきたいんです。
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」(哀歌 3章22、23節)

(PBA制作「世の光」2017.1.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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