♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■「みこころ」について /  岩井基雄

2012年10月19日 | Weblog
2012/10/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。キリスト教会で使われてる用語には分るようで分りにくいことばがありますね。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「御心(みこころ)」についてです。

 クリスチャンは「神様の御心ならば何々のことをします。」とか、「自分の思いなのか神様の御心なのかを求めます。」と表現することがあります。神様と共に生きるクリスチャンは自分の願いよりも神様の思いに従うことが本当の幸いだと知っているので、物事が自分の思いの通りにならないことを恐れません。そしてたとえ願うようにならなくても、困難に導かれることがあったとしても神様の御計画や思いに委ねることができるのです。

 新約聖書に次のようなことばがあります。
 「もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。」新約聖書 ペテロ第一の手紙 3章17節

 人生には様々な選択や苦難がありますね。しかし神の前に正しく歩むことを求め続けるならば私たちは本当の喜びと祝福を受けることができるのです。その歩みは時には私たちにとって困難なこともあります。私たちは皆、心の中に自分勝手な自己中心の思いを持っているからです。しかしそんな私たちのために神の独り子であるイエス・キリストがこの地上に来てくださり、神の御心を完全に行なってくださいました。私たちができないことを完全に成し遂げ、そしてその歩みへと私たちを招いていてくださっているのです。

 ですから、自分の罪を認め、イエス・キリストが罪の赦しを完成し、神の御心を完全におこなってくださったと信じる者は、自分の思いを捨て、神の御心に沿った歩みへと向かい続けることができるのです。たとえ苦しみを通ってでもです。

 イエス・キリストが誕生した時、羊飼いたちに天使がこう歌いました。
いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ 2章14節)

 私たちは失敗の多い弱い存在ですが、イエス・キリストにあって神の御心にかなう者へと変えられ続けていく希望があります。あなたも神の御心を求めて歩み始めませんか? あなたのその人生に神様が豊かな祝福と平安を与えてくださいます。そしてそれは神の御心に沿って与えられるです。

  (PBA制作「世の光」2012.10.19放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神のものは神に返しなさい / 福井 誠

2012年10月18日 | Weblog
2012/10/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「神のものは神に返しなさい」です。それではマタイの福音書の22章20節、21節から読んでみましょう。

  「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」 彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
 
 今日は税金のことについてイエス様が問われた時のお話ですが、税金のお話はどの国でも共通して嫌なお話だと思う人は多いことでしょうね。どうも私たちの愛国心が薄いのかもしれませんけれども、ユダヤ人の場合は侵略者ローマに支配されていましたので感情的に受け入れられないお話であったようですねえ。実際イスラエルの人々は紀元6年に実施された徴税のための国税調査に対して反乱を起こしていました。そんな時代背景にあってイエス様は実に難しい質問を投げかけられるのです。税金をローマ皇帝に納めることは神の御心にかなっているかどうかという質問ですね。そこでもしイエスが「神の御心にかなっている。納めなさい。」と答えたとしたら納税に反発するユダヤ人が黙っていないことでしょうね。しかし、逆に神の御心にはかなっていないのだ、納める必要が無いと答えたとしたらローマの支配に協力的なヘロデ王朝の人々が黙っていなかったことでしょう。困りましたねえ。

 しかしイエスは知恵ある人です。イエスは納税に使うお金にローマ皇帝の肖像が刻み込まれているのを示して、「これはローマ皇帝カイザルのものなのだからカイザルに返しなさい。」と言うのです。

 ローマのお金を使い、ローマに世話になっているのだったら納税という形で返すのは当然のことです。しかし同時に人間は国家のお世話になっているだけではなく神のお世話にもなっているのです。

 実際私たちは何一つ自分でつくり出したものはなく、みな神様が与えてくれる自然の恵み、大地の恵み、摂理の恵みの中で生きてます。神の恵みの支配の中で生きているのですねえ。神に返すべきものがあります。目に見えない神様を認め神様に感謝をお返しして歩ませて頂きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.10.18放送でのお話より )

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■神が目を開かれる / 板倉邦雄

2012年10月17日 | Weblog
2012/10/17放送

 世の光の時間です。。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神が目を開かれる」という題でお話ししましょう。

 人生には落胆の沼があります。その沼に落ちますとずるずると沈んで行くしかないようです。しかし絶望と落胆の沼の中にも神の約束という踏み石が置かれているのです。今日は創世記の21章の続きです。

 さて、アブラハムの色を追放されたエジプトの女性ハガルとその息子イシマエルは荒野をさ迷うことになります。やがて皮袋の水は尽きてしまいました。若い息子、17歳と言いましても荒野の旅は慣れていません。水不足の上に疲れがどっと来たのでしょう。息子は動けなくなってしまいました。母親は我が子が死ぬのを見るに忍びなく、我が子を木の下に置くと、弓矢が届くほど離れて行き、子どもの方に向かって崩れるように座りました。

 時に子どもは声を上げて泣いたのです。神様は子どもの泣き声を聞かれました。神様の使いは天から母親ハガルを呼んで言いました。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神様はあなたの息子の声を聞かれた。立って行き、子どもを起こし、あなたの手に抱きなさい。わたしが息子を大いなる国民とするであろう。」

 ハガルは勇気を出して立ち、我が子を強く抱きしめました。すると神様がハガルの目を開いてくださったのです。水の井戸があるのを発見しました。母親は飛んでいって皮袋に水を満たし、息子に飲ませることができました。私たちも絶望して涙が一杯になって、見えるものまで見えなくなってしまうことってありますよね。母親ハガルも失ったもの、辛いことだけで、目も心もいっぱいだったのでしょう。

 失望と落胆の沼は私たちの人生にはしばしばあります。しかし、私達は失望と落胆の沼を埋めることはできないでしょう。しかし神様が失望の沼の中に、私たちが渡りきることのできる神様の約束という踏み石を置いておられるのです。

 聖書のことばです。

 「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
                  使徒の働き 16章31節

( PBA制作「世の光」2012.10.17放送でのお話より )

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■憎しみからの解放 / 山中直義

2012年10月16日 | Weblog
2012/10/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。憎んでも憎み切れない相手に復讐する機会が訪れたとしたらあなたはどんな行動に出るでしょうか。

 旧約聖書創世記42章に登場するヨセフという人物はまさにそんな機会を得ていました。憎んでも憎み切れないはずの十人の兄たちが彼の前にひれ伏していたのです。

 この時から13年前、ヨセフの兄たちは不当な妬みからヨセフを奴隷としてエジプトに売り飛ばしました。その日から13年、ヨセフはエジプトの地で苦労に苦労を重ねます。ですが神様がヨセフと共にてくださったので、彼は不思議にも守られ、とうとうエジプトの総理大臣にまで上りつめたと言います。

 そのヨセフの目の前にあの十人の兄たちがひれ伏していました。この兄たちは絶望的な大飢饉の中で食料を求めてエジプトへやってきました。ですが兄たちはこの時、自分たちの目の前にいるこのエジプトの総理大臣がまさかあのヨセフであるとは夢にも思いませんでした。

 目の前にひれ伏している兄たちを見ながらこの時ヨセフは一体どうしたでしょうか。彼らに長年の苦しみを訴え憎しみをぶつけ彼らに復讐したでしょうか。

 いやそうではなかったと聖書は言います。むしろヨセフはこの兄たちが心から罪を悔い改め家族全員が和解と一致を得ることができるよう自分の正体を隠しながら兄たちには分からない形で彼らを懸命に導びこうとしたと聖書は言います。この時ヨセフはある夢を思い出していたと言います(創世記42章9節)。

 それはヨセフがまだ奴隷として売られる前に神様が与えてくださった特別な夢でした。その夢はいつか兄たちが心から罪を悔い改め家族全員が和解と一致を得ることができるそんな夢でした(創世記37章5-11節)。

 この時ヨセフは憎しみに怒られて復讐するのではなく、どんな時も憐れみ深く導き続けてくださった神様の夢、神様の願いを大切にしようとしたのでした。

 どんな時にも憐れみ深くどんなことがあっても最善を成し遂げてくださるその神様に目を向けるそのとき、私たちの憎しみも赦しへと、いや単なる赦しを超えた深い愛へと変えられていくと聖書は教えているのです。

(PBA制作「世の光」2012.10.16放送でのお話しより )

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■ことばは人のいのち / 関根弘興

2012年10月15日 | Weblog
2012/10/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。新約聖書ヨハネ福音書の冒頭のことばを何回かに分けてお話しています。このように記されています。

 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1章1節)
 そして4節には「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1章4節、5節)

 ヨハネはイエス・キリストこそ神のことばであり、この方によって世界は造られたのだ(ヨハネ1章3節参照)と記したんですね。と言うことはイエス・キリストの内には知恵と知識との宝がすべて隠されていると言うことでもある訳です(コロサイ2章3節参照)。ですからこの方を信頼して生きることは最も安心な歩みなんだということを前回お話ししました。そして今日はイエス・キリストこそいのちそのものであって人の光となってくださるお方だというお話をしたいと思うんです。

 さて命とは一体何でしょう。命とはこの心臓の鼓動がある間の肉体のいのち、息が続くまでの状態を普通は考えますね。でも「イエス・キリストにいのちがあった」と言うとき、イエス・キリストは創造の初めからおられる方なんですから、そのいのちは決して絶える事のないいのちであるはずです。そしてヨハネはこのいのちのことを「人の光となるものだ」と言い換えています。つまりこのいのち、これは私たちの人生に欠くことのできない光となるのだと言うわけですね。

 少し考えてみてください。光は一体何をもたらすでしょう。もちろん暗闇を消し去って行きます。同じようにイエス・キリストは私たちの暗闇を消し去るお方だという訳ですね。そして光は隠れたものを明らかにして行きます。汚い部屋も照明をつけなければ分りません。しかし照明をつけるとその屋の姿が現されてきます。ですからイエス・キリストを信じ生きるとき、自らの心が照らされることになるわけです。それは時には自分の醜さというものを知ることになるかもしれません。きたなさを思わされるかもしれませんね。でも照らされることは必ず救いに繋がっていくのです。そしてどんな暗闇の中にあっても光があれば行くべき道が分ります。光は私たちの道を照らす導きの光でもあるからです。

 そしてヨハネははっきりとこう記しました。
やみはこれに打ち勝たなかった。」と。これは勝利宣言です。どんな暗闇が襲ってもキリストの光を、いのちを消し去ることはできません。そして今この光は闇の中に輝いているのです。イエス・キリストのいのちは、光は、今も輝いています。そしてこのイエス・キリストを救い主として受け入れる一人ひとりの心にこの光は消えることがありません。光は闇の中に輝いているんです。

(PBA制作「世の光」2012.10.15放送でのお話しより)

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  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■平安があなたがたにあるように / 羽鳥頼和

2012年10月13日 | Weblog
2012/10/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 復活されたイエス様が弟子たちに現れました。その時イエス様は「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネの福音書 20章19節、21節、26節)と言われました。「平安があるように」ということばはユダヤ人がよく使った挨拶のことばです。イエス様はこの挨拶の通りに弟子たちに本当に平安を与えられました。復活されたイエス様が弟子たちに現れた時のことを記している新約聖書のヨハネの福音書20章19節から31節にイエス様が弟子たちに与えられた平安を三つ見ることができます。

 まず第一は主にある喜びです。ユダヤ人を恐れて隠れていた弟子たちは主を見て喜びました。恐れの不安が喜びとなったのです。

 第二の平安は生きる目的、生きがいです。イエス様は弟子たちに「わたしはあなたを遣わします」(21節参照)と言われました。何もする気がなく部屋に閉じこもっていた弟子たちにイエス様は、出て行ってイエスの福音を人々に伝えるという生きる目的を与えられました。不安の中でただ隠れていた弟子たちは生きる目的を得たのです。

 そして第三の平安は神様との親しい関係です。弟子のトマスは復活されたイエス様にお会いして「私の主。私の神。」(28節)と告白しました。このことばは神であるイエス様と人が良い関係となったことを表しています。神様のことを「私の神」と言えるのは人にとっては畏れ多いことですが身にあまる光栄です。イエス様は神と親しくなることができるという平安を与えてくれたのです。

 イエス様は十字架に架けられる少し前にこのように言われました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(27節)

 この世の平安は不動のものではありません。はた目には確かなよりどころに見えるかもしれませんが、逆境の中では音を立てて崩れ落ちる見せかけの平安です。しかしイエス様が与える平安は決して揺らぐことがありません。あなたは主にある喜び、生きる目的、そして神様との親しい関係を持ちたいと思いませんか?

 本当の平安、無くなることのない平安を与えてくださるイエス・キリストを知るためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

( PBA制作「世の光」2012.10.13放送でのお話より )

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■栄冠を目指して / 岩井基雄

2012年10月12日 | Weblog
2012/10/12放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今年の夏はロンドン・オリンピックでの選手たちの活躍が本当に素晴らしかったですねえ。日本および各国の選手たちの磨き抜かれた技や技術の競演は本当に見応えがありました。

 スポーツの秋の到来です。皆さんは何かスポーツをなさっていますか? 体を動かすことは本当に気持ちが良く、心も晴れやかになりますねえ。私も中学時代、陸上で中距離を少しやっていました。高校時代のマラソン大会で最後には何とコースとゴールを間違えて残念な結果になってしまったんですが、今では懐かしい笑い話です。

 聖書が語る神様はあなたに次のように語りかけています。

 「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 新約聖書 ピリピ人への手紙 3章13節、14節 

 私たちの人生のゴールはどこなのでしょうか。私たちは何を目指して進んでいるでしょうか。そしてゴールを間違える事はないのでしょうか。

 この聖書を記した伝道者パウロは非常に優秀な人物でした。その優秀さのゆえに、十字架にかけられたイエス・キリストの姿が理解できなかった彼は最初、クリスチャンを迫害し命を奪う側にいました。しかしキリストの十字架が自分自身の罪を贖うためだと理解した時、彼は神の愛と恵みを人々に伝える人に変えられ、勝利の主イエス・キリストが与えてくださる栄光の冠を目指して喜びをもって命がけで歩み貫いていったのです。

 栄光の冠はすべてのクリスチャンに用意されています。それは人との競争ではなく、自分との戦い、この世の様々な罪への誘惑との戦いです。しかし、神様の恵みの中を罪の赦しと救いの中を歩む私たちは時にはコースを間違える事があってもゴールを見失うことはありません。人生のゴールはこの地上の成功や繁栄ではないと知っているからです。

 あなたも本当のゴール、朽ちることのない栄光の冠、永遠の栄冠を目指して人生の歩みを歩み出しませんか?

  (PBA制作「世の光」2012.10.12放送でのお話しより)

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■礼服を着ていますか / 福井 誠

2012年10月11日 | Weblog
2012/10/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「礼服を着ていますか」です。それではマタイ22章の12節から読んでみましょう。

 「あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。」

 イエスは天の御国について面白い喩え話をしています。王子のための結婚披露宴を設けた王様の話です。この王様、人気がなかったのでしょうか、招待したお客が来ようとしません。ある者は招待を気にもせず商売に出かけ、ある者は不遜にも王様のしもべをうちたたき殺してしまいました。そこで王様は怒って招待を軽んじた客を殺してしまいました。この話、先週お話したぶどう園の主人のお話によく似ていますね。神を拒んだユダヤ人のお話です。

 ところがこの喩えはさらにもう一つ別の真理を私たちに教えています。続きがあるのです。その後王様は招待客の代わりに大通りで僕が出会った人を宴会に招くように命じました。宴会場は客で一杯になりました。そこで宴会場にやってきた王様は客の中に礼服を着ていないものを見つけて尋ねます。「どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。」 黙っていたこの人は宴会場から追い出されることになったというわけです。

 この喩えは率直に神の国に招かれたならばそれに相応しい備えが必要であると言うことを教えています。やがて私たちは死んで神の国への招きを受けます。三途の川も金次第、お金が必要と言うことでしょうか。そうではないですねえ。イエスの弟子ヨハネは新約聖書の黙示録の中で天の御国の情景を描いています。そこにいる人々はみな白い衣を着ているのです。白はきよめの象徴、つまりキリストによってきよめられたことの象徴ですね。使徒パウロは新約聖書のガラテヤ書という手紙の中で「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ 3章27節)と言っています。つまりキリストにあって心清められる。キリストの衣を身につけて罪の恥を覆われている。罪赦されていると言うことが礼服を着ることの意味なんですね。キリストに心を清められる。神の国に入るにふさわしいそのような備えをしたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.10.11放送でのお話より )

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■いじめの問題 / 板倉邦雄

2012年10月10日 | Weblog
2012/10/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日はアブラハムの家に起こったいじめの問題を取り上げます。旧約聖書の創世記21章です。

 さて、幼子イサクは育って乳離れをしました。おそらく3才ぐらいではないでしょうか。父親アブラハムは喜んでイサクの乳離れのお祝いをすることにしました。しかし、喜んでばかりはいられません。妻サラには秘かな心配がありました。それは自分の側に仕えていたエジプトの女性ハガルと夫アブラハムとの間に生まれたイシマエルの存在でした。イシマエルは既に17才ぐらいになっていたでしょう。ある日妻サラはイシマエルが自分の子イサクと遊びながらいじめているのを目撃したのです。新約聖書でパウロはこの創世記の箇所を次のように書いています。

 「その当時 ハガルから生まれた者イシマエルがサラによって生まれた者イサクを迫害しました。」 ガラテヤ書の4章の29節(板倉邦雄意訳)です。

 妻サラは息子イサクがいじめられているの見て夫アブラハムに訴えました。「ハガルとその子イシマエルを追い出してください。イシマエルは私の子と共に世継ぎとなるべきではありません。」 妻の訴えを聞いたアブラハムは我が子イシマエルのために非常に心配し悩みました。一所懸命に祈ったことでしょう。主なる神様はこのアブラハム家の難題に答えて導きを与えてくださいました。主なる神はアブラハムに言いました。「あなたの息子とその母ハガルのために心配しなくても良い。妻サラがあなたに言う事をすべて聞き入れなさい。イサクから生まれた者があなたの子孫となるからです。しかしハガルの子イシマエルもあなたの子どもですから、これをも一つの国民とします。」 そこで夫アブラハムは明くる朝早く起きてパンと水の皮袋を取り、ハガルと息子を家から去らせることにしたのです。

 さて、いじめの問題の一つの解決はお互いに距離を置くということでしょうか。イサクとイシマエルの兄弟はこれからしばらく離れて生きて行くことになります。

 聖書のことばです。「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 箴言3章6節

( PBA制作「世の光」2012.10.10放送でのお話より )

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■行動することの大切さ / 山中直義

2012年10月09日 | Weblog
2012/10/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。今日は「行動することの大切さ」と題して聖書のメッセージをお届けいたします。

 旧約聖書創世記41章でエジプトの王パロが不思議な夢を見ました。その夢には神様がこれからなさろうとしている大切なことが示されていたと言います。ところがパロにも国中のすべての呪法師や知恵ある者たちにもその夢の意味がどうしても分からなかったと言います。そんな中ヨセフという一人の若者がパウロのもとに連れて来られました。

 「私ではなく、神がその夢を知らせてくださいます。」 ヨセフはパロにそう断った上で確信を持って夢の解き明かしを話しました。「これからすぐにエジプト全土に7年間の大豊作が訪れ、その後に7年間の大飢饉が訪れる。夢はそのことを示している。」とヨセフは言います。さらにヨセフはこの事実に対してどう行動すべきかということも確信を持って進言しました。大豊作の間に食料を蓄え保管し、大飢饉に備えるよう今すぐに準備を始めなければならない。そう言うのです。

 神からのメッセージを確信をもって語りそのメッセージを信じて真剣に行動しようとするヨセフ。パロはこのヨセフこそエジプトに不可欠な人物だと考え何と彼をエジプトの総理大臣に任命しました。そうして夢が示していた通りの大飢饉がエジプトを襲ったとき、ヨセフは国中の人のいのちを飢餓から救うことができたのでした。

 神様が与えてくださるメッセージには行動することで応答しなければならない。その大切さをこの物語は教えているように思います。

 聖書には大切なメッセージが示されています。どれだけ豊かな人生を歩んだとしても人には必ず死後の審判が訪れると言うこと、そして神様は私たちが永遠のさばきに会わないように何とかして救われるようにと救い主イエス・キリストを私たちに与えていてくださる、そんな大切なメッセージが示されています。

 あのヨセフは神様からのメッセージに基づいて行動しました。私たちも今神様からのメッセージにイエス・キリストを信じて生きるという行動をもって答えなければならないのではないでしょうか。どうぞあなたも行動をもって神様に応答してください。

(PBA制作「世の光」2012.10.9放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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