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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■知恵の源 / 関根弘興

2012年10月08日 | Weblog
2012/10/8放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。新約聖書のヨハネの福音書の冒頭にはこのように記されています。

 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 そして1章3節には「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」 このように記されています。

 ヨハネという人はイエス・キリストの生涯を記すためにこの福音書を書いた訳ですが、何としてもイエス・キリストがどのようなお方かを伝えたかったんですねえ。

 ヨハネはイエス・キリストは神のことばなる方であり、さらにすべてのものはイエス・キリストによって造られたのだと大胆に記しています。

 少し考えてみてください。私たちが何かを作り出すとき、そこには知恵と知識が必要です。まあ論理的な理性が必要です。例えばテレビを作るのに電気の知識がなければ決して作る事はできません。いや、電気とか電圧なんて関係ないですよ、適当に電気を流しておけばテレビなんかねえ作れますよ、なんてことは決してない訳ですよね。私たちが恩恵を受けている様々な技術にはそこには論理的な理性の構築があって初めて物事が生み出されていく訳です。初めにそれを作り出す知恵と知識がなければ物は生み出されていきません。

 ヨハネはイエス・キリストは神のことば・ロゴスそのものだと記した訳です。ではこの神のことばの究極は一体どこにあるんでしょう。別のことばで言い換えるならば、知識の究極、知恵の究極はどこにあるのかと言うことです。それを考えていくとき、この世界の創造にまでさかのぼっていく訳です。なぜならこの世界を生み出したお方がいるなら正真正銘のロゴス・神のことばそのものだからです。ヨハネはイエス・キリストこそ正真正銘の知恵の源、知識の源である方なんですと語っているんですね。

 もしこのお方があなたと共にてくださり、そしてこのお方を私たちが信頼し生きていけるとするなら何と心強いことでしょう。聖書にはこのように書かれています。新約聖書のコロサイ人への手紙の2章3節です。

 「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

 「キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている」とあるんですね。神のことばであるイエス・キリストは知恵と知識に満ちた方です。その知恵はこの世界を生み出すほどの知恵です。だから私達はこの方に生きる知恵を求めて歩んでいくこと、それは人として最も適切な歩みとなっていくんです。
 
(PBA制作「世の光」2012.10.8放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。

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■わたしはそんな者ではない / 羽鳥頼和

2012年10月06日 | Weblog
2012/10/6放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 イエス様が十字架につけられる前の晩、ゲッセマネの園でイエス様は祈っておられました。そこへ兵士と役人たちがイエス様を捕まえにやってきました。イエス様は「だれを捜すのか。」(ヨハネ 18章4、7節)と彼らに言われました。彼らが「ナザレ人イエスを。」(ヨハネ 18章7節)と言うとイエス様は「それはわたしです。」(ヨハネ 18章5節)と言われました。イエス様は逃げも隠れもせずにむしろ自分から捕えられたのです。こうしてイエス様は捕えられ、ユダヤ人議会で裁判にかけられました。

 さてイエス様が裁判を受けていた頃、弟子のペテロは裁判が行われている大祭司の屋敷の中庭にこっそりと入ろうとしました。すると門番の女がペテロに「あなたはイエスの弟子ではありませんか?」と言いました。とっさにペテロは「私はそんな者ではない」と言ってイエスの弟子であること否定しました(ヨハネ 18章17節参照)。

 さて裁判の議場ではイエス様が尋問を受けていました。イエス様は「わたしは世に向かって公然と話しました。」(ヨハネ 18章20節)と自分のしてきたことをはっきりと語っていました。

 一方中庭に入ったペテロはそこにいた人々に「あなたはイエスの弟子ではありませんか?」と尋ねられます。ペテロはまた「私はそんな者ではない」と言います(ヨハネ 18章25節参照)。続いて一人の男がペテロに「あなたがゲッセマネの園でイエスと一緒にいたのを私は見たぞ」と言いました。ペテロはまたしても「私はそんな者ではない」とあくまでしらを切るのでした(ヨハネ 18章27節参照)。

 ペテロは「私はそんな者ではない。」と自分がイエスの弟子であることを否定しました。しかし捕えられ裁判にかけられるイエス様は「それはわたしです。」と言い、裁判では堂々と証言をされました。

 以前ペテロはイエス様に「あなたのためにはいのちも捨てます。」(ヨハネ 13章37節)と言いましたが、もはやこの時は自分の身を守ることで精一杯でした。ペテロが自分で自分のいのちを守ろうとしていた時、イエス様は人を救うためにご自分のいのちを捨てようとされていたのです。ペテロの「私はそんな者ではない。」ということばは「それはわたしです。」と言って自分のためではなく私たちを救うために堂々とご自分の死に向かわれているイエス様の姿を際立たせています。

 私たちを救うために十字架で死んでくださったイエス様はこのように言われました。「もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネ 8章24節)と。救いの道はイエス様にしかありません。イエス・キリストをあなたの救い主と信じてください。

( PBA制作「世の光」2012.10.6放送でのお話より )

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■神様の憐れみと祝福を受ける幸い / 岩井基雄

2012年10月05日 | Weblog
2012/10/5放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇67篇1節、2節です。

 「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。

 旧約聖書詩篇67篇1節、2節 私たちは誰もがみんな幸せを求める存在ですね。この幸せを表す英語には主に三つあると言われます。ハッピーとかラッキーを思い出す方が多いと思いますが、実は聖書が語る幸せは Be blessed ビー・ブレストということばで主に表現されています。直訳をすると祝福されている幸せすなわち神様からの祝福の幸いという意味になるでしょうか。ハッピーやラッキーがどちらかというと状況や条件がもたらす幸せなのに対してこのビー・ブレストは関係や関わり、絆がもたらす幸せであり、どんな困難な状況の中でも変わることのない力強さを持っています。この祝福の幸いは先程の詩篇の祈りの中にも現されていますねえ。「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。
 この詩篇の作者は先程の祝福の幸いを求めていると言えるでしょう。そしてそれは神様がご自身の御顔を自分たちの上に輝かせてくださるようなことだと表現しているのです。神様の御顔の輝きによって人はどんな暗闇の中でも雄雄しく歩むことができるからです。この詩篇の作者はその幸いを受け取り、それを更に豊かに求めています。作者はなぜこの幸いを求めているのでしょうか。それはあなたのためになるからです。先ほどの詩篇の後半にはこのように神様に向けて語られていました。「それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。」 神様の素晴らしい道と恵みの救いがすべての人にそしてあなたに豊かに届くためにこの作者は真の幸いを求めて祈っているのですね。あなたのためにもこの祝福の幸いは用意されています。神様はあなたにも御顔の輝きを用意して待っていてくださるからです。

  (PBA制作「世の光」2012.10.5放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■実を結ぶ国民に与えられる / 福井 誠

2012年10月04日 | Weblog
2012/10/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「実を結ぶ国民に与えられる」です。それではマタイ福音書の21章43節から読んでみましょう。

 「神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」 

 マタイの福音書21章の終わりにはぶどう園での喩えが二つ出てきます。一つは、あるぶどう園の主人が自分の二人息子に仕事を言いつけるわけですが、兄は仕事に行くと言っていかなかった。弟は行きたくないと言って後から悪いと思って出かけた、というお話ですね。イエスはこの喩えを説き明かして、取税人や遊女たちの方がユダヤの宗教家たちよりも先に神の国に入るのだと言っています。

 もう一つの喩えは、ぶどう園を作ってそれを農夫に貸して旅に出た主人の話です。主人は収穫の取り分を受けるために自分のしもべを遣わすのですが、農夫たちは彼らを辱め、殺し、主人の取り分を渡そうともしませんでした。最後にぶどう園の主人は自分の息子を遣わすのですが、その息子も殺されてしまいます。そこでぶどう園の主人は立ち上がり、農夫たちに報復をして別の農夫に農地を貸すというのです。

 この二つの喩えは同じことを別の角度から語っていますね。最初の喩えはイエスは話を聞いていたユダヤ人の態度を語っており、あとの喩えは神様に対するユダヤ人の態度を歴史的に振り返っています。つまりユダヤ人は神が送られた預言者を受け入れず、最後に送られたイエスをも受け入れるようとしませんでした。これに対してイエスはユダヤ人でありながらユダヤ人とみなされず軽蔑されていた取税人や遊女であっても罪を悔い改め神に立ち帰るなら、神はその人達を神の国の祝福の中に迎え入れると言います。また神に遣わされた預言者や救い主のことばを真剣に受けとめず迫害し十字架にかけたユダヤ人に対する祝福の恵みは、ユダヤ人が軽蔑していた異邦人に与えられるというのです。

 大切なことは神の祝福は実を結ぶ人に与えられるということですね。これを大事に受けとめる人にこそ与えられると言います。聖書のことばに心を開いて語られていることをよく理解しこれに従い神の素晴らしい祝福を受ける者になりたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.10.4放送でのお話より )

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■神が笑わせて下さる / 板倉邦雄

2012年10月03日 | Weblog
2012/10/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神が笑わせてくださる」という題でお話ししましょう。

 「笑う門には福きたる」と言われます。笑うと健康に良いみたいですね。確かに苦虫を噛み締めているよりはいいでしょうか。ところで今日の創世記21章には「神はわたしを笑わせてくださった。」( 6節)ということばが出てきます。そして周りの人々も思わずくすくすと笑ってしまったというのです。

 さて主なる神様は先に言われたように妻サラを顧みてくださいました。何と90歳の妻サラが身ごもり、年老いたアブラハムに男の子を産んだのです。アブラハム100歳でした。アブラハムは妻サラが産んだ男の子にイサク---笑う---と名付けました。笑々ちゃんです。ま、それにしても長かったですねえ。二人が結婚したのが何歳か分りません。子どもが生まれませんでした。アブラハム75歳、サラ65歳の時、主なる神様はアブラハムに約束しました。「わたしはあなたを大いなる国民とする。」(参照創世記12章2節) 大いなる国民にするためには子どもが生まれ子孫が産まれなくてはなりません。しかし時は流れるばかり、歳は取るばかりでした。途中で、自分の家で忠実に働いてくれるエリエゼルを養子に迎えようとしました(参照創世記15章3節)。また妻サラはサラで、自分に子が生まれないので召使いのハガルという若い女性を夫にあてがい、子どもを産ませたりしましたね(参照創世記16章3、15節)。そしてとうとう人間的にも生理的にも不可能な年老いた年齢になりました。しかしサラは身ごもり、男の子を産んだのです。

 男の子イサクを見ながら妻サラはつぶやきました。「神様は私を笑わらせてくださった。聞いた人はみな私のことを笑うでしょうね。」(参照創世記21章6節口語訳) 恥ずかしいやら嬉しいやら妻サラが笑いをこらえる微笑みが伝わって来るようですね。イサクを見るたびに笑みがこぼれる顔を見ることができますか? 天の神様がこの歳になっても笑わせてくださったのです。

 聖書のことばです。
 「信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
 ヘブル人の手紙11章11節 口語訳 


( PBA制作「世の光」2012.10.3放送でのお話より )

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■苦しみの意味 / 山中直義

2012年10月02日 | Weblog
2012/10/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 私たちが体験する苦しみや悲しみには意味があるのでしょうか。旧約聖書創世記40章に登場するヨセフという人物は説明がつかないような度重なる苦しみを味わっていました。兄弟たちから不当な憎しみを受けて奴隷として売り飛ばされ、奴隷として売られたエジプトの地でも理不尽な裏切りを受けて牢獄に入れられてしまったのです。ところがその牢獄の中でヨセフの運命を大きく変えることになる出会いが与えられました。エジプト王に対して罪を犯した二人の大臣が審判を待つために投獄されヨセフが世話をすることになりました。その二人の大臣がある夜それぞれ夢を見ました。その夢には各々特別な意味がありましたが二人にはその意味が分からず心が騒ぎます。そんな時ヨセフがそれぞれの夢を説き明かすことになりました。このヨセフには夢を解き明かすという不思議な力が神様から与えられていたのです。そしてまさにヨセフの解き明かしの通りのことが二人の身に起こりました。その後ヨセフはこの出来事を通して牢獄から救い出され、この神様から与えられた能力と神様を信頼する誠実を人柄を買われてエジプトの総理大臣に任命されます。そして深刻な食糧飢饉の中、多くの人々のいのちを救うことになりました。

 後にヨセフはすべては神のご支配の下にあったと告白しています。奴隷として売られたことも牢獄に入れられたことも神が最善をなさるために許された事柄。神が人のいのちを救うために許された事柄であったと告白しています。

 私たちの苦しみや悲しみにも意味があると聖書は言います。神の最善がなされるために、何よりも私たちがイエス・キリストという救い主を知りその魂が救われるために、すべての苦しみや悲しみが用いられていくのだと聖書は教えています。

 私たちにはなかなか分からないとしても、最善の時に最善のことをなそうとしていてくださる神様がおられます。どうぞあなたも最善を成し遂げてくださる神様を信じ神様に目を向け神様に祈ってみてください。神様の不思議な守りと導き、神様に導かれる幸いな人生があなたにも差し出されています。

(PBA制作「世の光」2012.10.2放送でのお話しより )

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■はじめにことばあり / 関根弘興

2012年10月01日 | Weblog
2012/10/1放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日から新約聖書のヨハネの福音書を通してイエス・キリストの姿を紹介し、またお互いの人生を考えていければと願っています。

 この福音書の冒頭のことばはとても不思議な書き出しで始まります。

 「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」 ここで「ことば」と訳されたこのことばはギリシャ語ではロゴスと言います。ことばというのはコミュニケーションの大切な手段であり、また物事を表現したり説明したりするために使いますよね。でもここでヨハネが記した「ことば」という意味は特別な意味を込めたものでした。「ことば」は知恵そのものを意味していましたし、またギリシャ人たちは万物は流転すると考え、それはでたらめに起こっているのではなくその背後に秩序がありパターンが有るんだと考えていました。そういう秩序を与え宇宙全体を動かし支配しているのが「ことば」・ロゴスであると考えた訳ですねえ。ですからヨハネはユダヤ人にもギリシャ人にもこの最初の一文を通して、この世界の源でありこの世界の秩序を保っているロゴスを紹介しましょう、その方こそイエス・キリストなんですよ、と語った訳です。

 1832年10月に鳥羽港を江戸へ向けて出港した千石舟「宝順丸」、ま、この船がですね途中遭難しまして14ヶ月漂流した後北米の西海岸に漂着します。生き残ったのは14名中3名でした。そんな彼らはハドソン湾会社の支配人に助けられ日本に送り返されるためにロンドン・喜望峰を経て1835年の12月にマカオに到着するんです。その3名は宣教師のカール・ギュッツラフという人の家に滞在することになるんですね。一方このギュッツラフという人は何とかしてまだ見ぬ日本の人々に聖書のことばを読んでもらいたいと願っていました。そこでギュッツラフは彼らの助けを借りて翻訳作業を開始するんです。そしてヨハネの福音書が翻訳されました。現存する日本語訳の聖書の最初の聖書となったんですね。この訳されたヨハネの福音書の1章一節にはこう書いてあります。
 「ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。」
 ま、「始まりに賢い者ござる」と訳されているんですが、ロゴスということばを「賢い者」と訳したんですね。名訳だと思います。今日私はあなたに是非知っていただきたいことがあります。イエス・キリストこそ、賢き者であり、人生を導き知恵を与え、神のことばなるお方だということ、このことを今日あなたにぜひ知って頂きたいと思います。

 
(PBA制作「世の光」2012.10.1放送でのお話しより)

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