2011/3/8放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
私たちは決して一人で孤立して生きていくことはできません。いろいろな人たちとのかかわりの中で生きている訳です。ま、そういう意味では「共に生きる」一人ひとりなんですね。そこで今日は私たちが共に生きていくために心に留めておきたいことをご一緒に考えていきましょう。今日はその1回めです。テーマは「共に生きるために互いの存在価値を認めよう」というお話です。
ま、私たちはいろんな価値観をもって生活しています。普通、その人の価値をはかろうとする場合、その人がどれだけ役に立っているかとか、どれだけのことができたかとか、またはできるのかという、ま、その人の機能的なものに価値を見出そうとします。ですから当然との人の能力や達成した結果によってその人の価値高いかがはかられる訳ですね。
しかし、この価値観で判断すると、とても残酷なものが待っています。 なぜなら、その人が失敗したり、できたことができなくなってしまったら、もはや価値がないというレッテルが貼られてしまうからです。例えば自分は何もできないから価値がないとか、特別な能力がないからだめなのだと考えてしまうなら、それはとても恐ろしい見方ですよね。私たちは病の中で、何もできなくなってしまうことがあります。失敗を犯し、挫折することもあります。そのときに、病になったら価値がないとか、失敗したら価値がない、挫折したら価値がないと判断されるならこの世に住む殆どの人は価値のない存在となってしまうでしょう。
互いに生きるということは、あなたが傍らにいる一人ひとりに対して、できてもできなくても、あなたがいてくれてありがとう、と言い合える関わりを構築することなんです。何かができたからいてくれてありがとう、ではなくて、互いの存在そのものに対して、いてくれてありがとうと言える関わりを築いていくこと、これが大切なんですね。なぜなら、それは天地を創造された神様が私たちを御覧になっている眼差しだからです。
旧約聖書のイザヤ書43章4節に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 こう聖書の神様はあなたに語り続けています。あなたの弱さも欠点も失敗も、罪も、承知の上で「わたしはあなたを愛しているのだ。そしてわたしの独り子イエス・キリストをあなたの罪のために十字架につけるほど、命を捨てるほど私はあなたを愛しているのだ。わたしの目には価値高い。あなたは高価で尊い。」と語ってくださっているんです。そんな眼差しを受けながら互いに生きていくことにいたしましょう。
(PBA制作「世の光」2011.3.8放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
私たちは決して一人で孤立して生きていくことはできません。いろいろな人たちとのかかわりの中で生きている訳です。ま、そういう意味では「共に生きる」一人ひとりなんですね。そこで今日は私たちが共に生きていくために心に留めておきたいことをご一緒に考えていきましょう。今日はその1回めです。テーマは「共に生きるために互いの存在価値を認めよう」というお話です。
ま、私たちはいろんな価値観をもって生活しています。普通、その人の価値をはかろうとする場合、その人がどれだけ役に立っているかとか、どれだけのことができたかとか、またはできるのかという、ま、その人の機能的なものに価値を見出そうとします。ですから当然との人の能力や達成した結果によってその人の価値高いかがはかられる訳ですね。
しかし、この価値観で判断すると、とても残酷なものが待っています。 なぜなら、その人が失敗したり、できたことができなくなってしまったら、もはや価値がないというレッテルが貼られてしまうからです。例えば自分は何もできないから価値がないとか、特別な能力がないからだめなのだと考えてしまうなら、それはとても恐ろしい見方ですよね。私たちは病の中で、何もできなくなってしまうことがあります。失敗を犯し、挫折することもあります。そのときに、病になったら価値がないとか、失敗したら価値がない、挫折したら価値がないと判断されるならこの世に住む殆どの人は価値のない存在となってしまうでしょう。
互いに生きるということは、あなたが傍らにいる一人ひとりに対して、できてもできなくても、あなたがいてくれてありがとう、と言い合える関わりを構築することなんです。何かができたからいてくれてありがとう、ではなくて、互いの存在そのものに対して、いてくれてありがとうと言える関わりを築いていくこと、これが大切なんですね。なぜなら、それは天地を創造された神様が私たちを御覧になっている眼差しだからです。
旧約聖書のイザヤ書43章4節に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 こう聖書の神様はあなたに語り続けています。あなたの弱さも欠点も失敗も、罪も、承知の上で「わたしはあなたを愛しているのだ。そしてわたしの独り子イエス・キリストをあなたの罪のために十字架につけるほど、命を捨てるほど私はあなたを愛しているのだ。わたしの目には価値高い。あなたは高価で尊い。」と語ってくださっているんです。そんな眼差しを受けながら互いに生きていくことにいたしましょう。
(PBA制作「世の光」2011.3.8放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。