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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ 災の中に感ずる幸い

2005年01月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 長い人生には、苦しみや悲しみ、つきものです。今日は、むしろ悲しみを通して、生きていく上ではなくてはならない大切なものを発見することがある、ってことについてお話しします。そしてこれは時代や民族を越えたものです。

 旧約聖書の詩篇、今から三千年前に書かれたものですが、その119篇という所には、苦しみに会ったことは幸せだ、なぜならそのことによってまことの神を知り、どのように生きていくかを学んだ、と言っています。

 今から二千年前に書かれた新約聖書のコリント人への第二の手紙7章10節という所には、こんなふうに書かれているんです。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 二つの悲しみがある。一人で孤独で悩んでいくと死をもたらすような危険な悲しみもある。でも、悲しみを通して神を知っていく、神とともに生きる道を知る、そしてそれはすばらしい救いに至るんだ、って言っているんですね。

 ま、そんな最近の例もあります。北朝鮮拉致事件でおなじみになった横田めぐみさんのお母さん、横田早紀江さんです。月刊誌『現代』の12月号に、横田早紀江さんの密着取材した記事があり、横田さんのお話が紹介されています。突然一人娘を奪われ、悲しみ、苦しみ、そしてもう深い悲しみの中に生きる気力も失い、どうやって死のうかと真剣に考えるまでに至ってしまったというのです。そしてそんな時に出会ったのが聖書でした。聖書のヨブ記を読んだ時の気持ちの変化に、自分も驚いたそうです。こう言っています。「すっと胸に入ってきたんです。不思議な体験でした。生きることの本当の意味を知って、目からうろこが落ちる思いでした。そうしたら気持ちがすっきりしてしまったんです。」まあそれからは、祈ることだけでなくあらゆる物事を聖書に教えられて考えるようになったって言うんです。ま、そういう生きる意味を、本当に神に生かされていることを知ったという意味においては今は幸せ、その点においては幸せだ、と言い切っている姿に取材した記者が驚いています。こんな深い、大切な意味があるんですねえ。

( PBA制作「世の光」2005/1/21放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会もPBAで紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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