♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ 世の終わりまでいつも

2005年01月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。
 神奈川県鎌倉市にお住まいの篠崎やえこさんからいただきました。

 電話「世の光」で先生の明るく穏やかな慈愛あふれるお声を拝聴できて、心より喜びました。私の親友の梅村ひろみさんが、先月、「手のひらの愛」を送ってくれました。今、毎日一頁づつ学んでいます。

 毎日一頁づつ、ラジオの他にも学んでいてくださる篠崎さん、嬉しいお便り
ありがとうございました。

 さ、今日の約束のことばです。今日の約束のことばはマタイの福音書28章20節のことばです。
 「見よ。・・・世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 孤独とは何でしょう。離婚寸前の両親のもとに心を痛める子供たち。仲間はずれにされている若者たち。若者たちをうらやましく思いながらも年老いて弱くなっていく老人たち。愛する者の葬式から帰ってきた人たち。どこを向いても人間の孤独がありますねえ。イエス・キリストも孤独を経験なされたお方です。ゲッセマネの園で、一人残らずの弟子たちが彼を捨てて逃げていこうとしていました。イエスは血の汗を流しながら祈られました。どんなに一人ぼっちだったでしょう。十字架の上で、その苦しみの極限の中で、イエス・キリストはうめいて言われました。「わが神、わが神、なんでわたしをお見捨てになるのですか。」イエス・キリストは本当に十字架の上で一人ぼっちでありました。十字架上の死によって、人々を罪のさばきと死から人間を解放するわざを終えてよみがえられたイエス・キリストは、天に昇り、そこで今も生きて働く、完全な人類の救い主となられました。このお方が、近づいてくる者を一人残らずを救い、守り、導き、助けてくださる。このお方の約束のことばです。
今日の約束のことば。「見よ。・・・世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
マタイの福音書28章20節のことばです。


また聞いてください。
 (PBA制作「世の光」2005/1/19放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係では分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれるとの事。気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
コメント (1)
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■ 弱さとほほえみ

2005年01月18日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 兵庫県芦屋市に住む西村 隆さんは三十代で筋萎縮性側索硬化症という難病にかかりました。この病はだんだん筋肉の力が衰え、まあ麻痺していく病なんですねえ。手足が少しづつ動かなくなり、だんだん話をすることさえもできなくなってしまい、ついには呼吸もできなくなってしまうという病です。

 昨年私は、西村さんのお宅におじゃまして、話を伺ってきました。それは西村さんが『神様がくれた弱さとほほえみ』という本を出版されたので、その話を伺ってきたんですね。私が伺った時はすでに手足の自由が奪われ、話をするための口の筋肉も弱ってしまい、わずかに動く足を動かして、パソコンに特殊なマウスを取り付けて画面に文字を映し出しながら、会話をしました。西村さんは病になっていろいろなものを失ったけれど、しかし病になったからこそ得たものもたくさんあると言われました。時折、表情からうかがえる微笑みは、不思議な安堵感を与えてくれました。そして私たちが持っているいろんなこだわりや気負いを捨てさせるものになりました。そんな彼が本の中でこう言っているんですねえ。「弱さは悲しいけれど、幸せを感じる大きな力、微笑みにつながる。」西村さんと会うまで実はこのことばは、私の心の中ではピンときませんでした。しかし家族みんなが飾らずにありのままの現実を受け入れ、その生活の中での一コマ一コマを大切に生きている姿を見て、思わずうなずくことができました。西村さんの生活の根底にあるものは一体何でしょうか?って尋ねると、彼は即座に、信仰です、と答えられました。神様がいるならどうしてこうなったんだろう。どうしてこんなに辛いことが起こるのだろうと、多くの方は考えます。しかし西村さんは、この病の中にあって自分を支えているのは神様への信頼だ、って言われたんですね。人が弱さを感じる時、それは悲しみを感じることもたくさんあるはずです。それは西村さんもたくさん経験されてきた事でしょう。しかし、弱さを覚えたからこそ知ることのできる、神様の支えがある。そしてそこから生まれる微笑みもある、と西村さんは言われていました。

 聖書のことばをご紹介しましょう。
イザヤ書41章10節。 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


 (PBA制作「世の光」2005/1/18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

話の中に出てきた本を調べてみました。

西村 隆 著『神様がくれた弱さとほほえみ』--20編の小さな物語-- 新書版上製  
税込価格:1260 円
ISBN: 4-264-02238

 http://www.wlpm.or.jp/forest/nishimura/nishimura.htm に出ています。

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■ いつも共におられる主

2005年01月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、聖書の中には不思議なようなおもしろい話がたくさん出てきますけれども、ダニエル書という中にですね、イスラエルの人で、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、って三人の青年がいたんですが、バビロンという国に捕らえられておりまして、バビロンの王様がですね、金の像を造って、これを拝まなかったら火の中へぶちこむぞ、というふうにこう言ったんですね。ですけれども、この人たちは、生けるまことの神様以外のものは拝みません、と言ったもんですから、それじゃあというので、燃える炉の中に投げ込んだんですね。そしてもう普通の熱さよりも7倍熱くせよ、というふうに命じてですね、で、そん中でもうとっくに焼けてしまうようなはずだった訳なんですけれども、もうそろそろ焼けただろうと思って見たら、何とその三人が、何の害もないようにして中で生きている。それだけではなくって四人いる。もう一人の人がいる。それを見たら、その四番目の人は神の子の姿に見えた、というふうにまあ書いてある訳なんですねえ。そしてそこから出してみたら、もう焦げた匂いも何にもついてなかった、というふうなことがまあ書いてありましてですねえ、神様の特別な助けがそこにあったということが、そこに言われている訳なんですけれども、

 イザヤ書の43章という所にこういうことばがありまして、
あなたを造り出した方、・・・あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「・・・あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。」そしてその後に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」ってことばが続くんですね。

 神様の目から見たら、あなたは高価で尊い大事な存在なんだ、愛している。そのことが、具体的な形では、様々な、水の中を通るような、火の中を通るような、試練でありますとか、困難でありますとか、そういうふうな所を通る時に、わたしは決してあなたを見捨てない、あなたと共にいて、そしてあなたを助ける、というふうにですね、ここに書いてあるように、火の中を歩いてもあなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない、そういうことによってあなた自身がだめになってしまうような事はない、という約束のことばなんですね。

 新しい年を迎えましたけれど、この年、どんなことがありますでしょうか。思いがけないことに出くわすかもしれませんけれども、その時に、私を愛しておってくださる方が共におられる、そう信じられたら幸いだと思いますねえ。


 ( PBA制作「世の光」2005/1/17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせて日曜日の朝、教会に行ってみましょう。。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ 益としてくださる

2005年01月15日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せくださる「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 東京都世田谷区にお住まいの稲垣浜子さんは、新約聖書ローマ人への手紙8章28節をお寄せくださいました。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 
 私が16歳、女学校2年の時に、父が、しんぺいたい事件という右翼の事件に連座して逮捕そして獄死という出来事を通して十字架の恵みによる救いにあずかりました。それ以来85歳の今に至るまでの私の生涯には、このローマ人への手紙8章28節のみことばは、まことに真実な神様のおことばとして心の底に根づいております。父の死に続いて母の死によって弟妹との離別、夫との結婚への導き、終戦による満州からの引揚げ、二人の愛児の召天、夫と私の大病、夫の仕事上の困難の中での息子の牧師への献身、夫の召天など。それぞれの試練の度に、毎回神様は深い御心をお示しくださり、ご愛をもって全てを恵みへと変えてお導きくださいました。一つ一つを思い返します度に、神様のご真実な愛を感謝せずにはおられません。私がどれほどの愛をもって神様を愛しているのでしょうか。それなのに主イエス様の十字架の御血の贖(あがな)いを通して神様は限り無い愛をお示しくださっておられるばかりか、今も日々霊肉の歩みにまで御心を注いでいてくださいます。その御恵みを心から感謝し、尊い御名を崇めます。


稲垣浜子さんの心に残る聖書のことば。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節。

 それでは、また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」05/1/15放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ 人生の目的

2005年01月14日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、人生の目的をしっかり持つ、その大切さについてお話しいたします。

 最近、人生の意味とか、いかに生きるべきか、というようなテーマの本がベストセラーになっています。それは、誰もが知っているようでいて、案外はっきりしていないからではないでしょうか。昨年も青年の集団自殺が多発しました。また青年による連続の両親殺しもショックでした。そんな中に、いのちの大切さ、生きる意味を、もっと子どもたちに教えなければという声が高まっています。でも現実には、そう簡単ではありませんね。

 私は牧師をしておりますので、青少年と話す機会があります。ある女子高生は言いました。「学校で校長先生がお話しの中で、『人生の意味などというものははっきりしないんだ、もともとないんだ。だからそんなこと考えないで勉強したほうがいい。』って言われた。」と悩んでいました。幸い彼女は、聖書を学んで神様の存在を知り、神様に造られた人間の生きる意味、目的を知り始めました。そして、少しでも助けを必要としている人のためにお役に立ちたいと今、看護師として一生懸命働いています。これは何も、青少年のための必要というだけでなく、どんな人にとっても、生きる意味、目的がはっきりしていると、人生を楽しむことができ、いろいろな問題にあっても乗り越える力が出てくるのではないでしょうか。

 どうしたら人生の目的を持つことができるのでしょうか。世界中のキリスト教会で今ベストセラーになっている『人生を導く5つの目的』という本があるんです。その最初の部分に、こんなふうに書いてあるんです。目的を持って生きる、目的に導かれて生きる幸い、5つあげてあります。

 人生の目的を知ることによって、人生に意味が与えられる。第二、よりシンプルな人生を送ることができる。三、人生の焦点が定まる。四、人生に動機づけ、情熱が与えられる。五、永遠への準備が整う、って言うんですねえ。

 どうしたらその人生の目的を知ることができるのか。それは、自分の人生、自分の人生という考え・視点ではなく、天地を造られた神が私たちに目的をもってお造りになったその神を知り、その目的が分ると、その目的に生きていく意味が、力が、情熱が、湧いてくるって言うんですね。この視点の転換が、大きな新しい第一歩になるのではないでしょうか。


( PBA制作「世の光」2005/1/14放送でのお話しより )

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■ 憎しみは殺意を生む

2005年01月13日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか? 世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 昨年の11月に起きた奈良での女の子の殺人事件、そして水戸や土浦ですか茨城県のそんな殺人事件。ほんとにこの頃の事件はですね、目を覆うばかりのような気がいたします。もうお忘れになっている方もいるかもしれませんが、佐世保市の小学校6年生の女の子の殺害事件でですね、 鑑定留置中の11歳になる女の子が犯行直前ノートに、「お前を殺しても殺したりない」と殺意をほのめかす記述をしていた事が分かったんだそうです。これはインターネットの掲示板に悪口を書かれた事が引き金になり、事件の3日前から犯行を準備していたことが分かったっていうんですねえ。この女の子と殺された御手洗怜美(みたらい・さとみ)さんら5人で始めた交換日記で、この女の子と怜美さんとの間でメンバーをはずれるかどうかでトラブルが続いていたって言うんです。インターネットの掲示板に悪口が書かれたのを見て以来、彼女は怜美さんへの怒りや憎しみによって、「お前を殺しても殺したりない」とまで思い詰める所まで行ってしまったって言うんですねえ。ついに呼び出してカッターで斬りつけ殺してしまった訳です。彼女は特別に非行少女であったり問題児であったのではないんですよね。むしろごく普通のいい子だったって言うんです。その子に芽生えた憎しみが殺人を犯してしまった。だれでも1回や2回友だちを憎み、あんな奴殺したいなどと思うことがあるかもしれません。だからといってこの女の子の殺害を正当化するものではありません。むしろ私たちの内に抱く憎しみは恐ろしい発展に至るんだっていう事を自らの内に警告して受けとめていきたいなあと思ってるんです。

 旧約聖書の箴言の10章12節という所には、「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」とあります。また、新約聖書ヨハネ第一の手紙3章15節には、「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。」とあるんですねえ。この聖書のことばによりますと、心の内に兄弟を憎むならその人はその兄弟を殺した人殺しだっていうんです。心の内で憎むだけでそれがどうして人殺しなんだい、この聖書のことばはあまりにも断定すぎはしないかい、そんなふうに感じる方もいるかもしれません。しかし人を傷つけるのも殺人に至るのも、衝動的であったり無差別な殺人以外は動機はすべてここに絞られるのではないでしょうか。すべての人のかかわりの中から憎しみ憎悪の一切がなくなったら素晴らしいと思いませんか。どうかこの年、神様がイエス・キリストによってあなたを愛しているその愛をぜひ経験していただきたいのです。ここから本当の平和が作り出されるはずです。

 (PBA制作「世の光」2005/1/13放送でのお話しより )

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■ イエスご自身が近づいて

2005年01月12日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光、まず皆様からのお便りの紹介です。大阪府岸和田市の、かみもと節子さんからは、「おはようございます。毎朝良いお話しを聞かせていただいて、今日も一日、おだやかに暮らせます。祈って出かけられます。」といただきました。
 嬉しいお葉書、かみもとさん、ありがとうございました。

 さ、今日の約束のことばです。新約聖書ルカの福音書24章15節。「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。

 背景を申し上げましょう。イエス・キリストこそ救い主と信じて、イエスに付き従ってきた弟子たちの目の前で十字架の上で苦しみきって死なれたイエス・キリスト。弟子たちは、途方に暮れていました。その耳に、女たちが墓に行ったら墓が空っぽだった、そしてよみがえられたイエス様が女たちにお会いした、という話し。この話しを聞いた弟子たち二人がエルサレムから11キロの道のりのエマオの町に向かって歩いていました。道々、聞いたこの話しを中心に話し合ったり議論したりしていると、イエスご自身が近づいて彼らと共に道を歩いてこられたのです。しかし彼らは、そのお方こそ、よみがえられたイエス・キリストと分りませんでした。イエスは道々、聖書のことばを話されるその時に彼らの心は燃えました。しかしまだイエス・キリストご自身だと分りません。日が暮れて宿をとった二人は、このお方に一緒にお泊まりください、と頼み、そして夕食の食事の時にこのお方がパンをとって感謝して後、そのパンを二人の弟子たちに分けて与えました。その時でした。目からうろこが落ちたように、この方こそよみがえられたイエス・キリストだと分りました。弟子たちは急いでエルサレムに帰り、この事を使徒たちに報告したのです。

 よみがえられた主はいつも私たちと共に歩かれ、語られ、助け、導かれる。その時私たちの心は燃え、目ははっきりと神の愛を見るのです。

約束のことば。「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
ルカの福音書24章15節のことばです。


ではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005/1/12放送でのお話しより )

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■ 立ち直ったら

2005年01月11日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま、人が何かをしでてかして失敗をしたり、困難に陥ったりすると、幾つかの反応が周りからおこりますよね。その一つは、「ほら見なさい。自分かってなことをするから。もう自業自得よ。」ま、こういう反応がありますね。そして、こんな反応もあります。「もう小礼状あなた、面倒をかけないでくれよ。もう関わりあいたくない。もうこの辺であなたとの関わりを断つことにしよう。」 ま、こういうものもありますねえ。

 しかしこういう反応もあります。「お前は失敗してもなお大切な大切な一人だ。だからお前のために回復のために祈ろう。」 ま、こんな反応です。

 あなたならどういう反応をしますか? もちろんそれぞれの事情にもよるでしょうが、結構冷たく「どうしようもない奴め。」と吐き捨ててそのままになってしまうなんてことがありませんか。

 でも、あなたが失敗した当事者ならどうでしょう。どの反応を期待しますか。「お前はなお大切な一人だ。だからお前のために祈ろう。」って言われたら、(もう一度再出発しよう。)って考えることができますよね。

 イエス・キリストの弟子の一人に、ペテロという男がいました。彼は弟子の中でも親分肌の男です。漁師であったペテロは、イエス様の招きに従い、網を捨てて従っていきました。いつでもイエス様のそばで行動してきた男です。しかしそんな負けん気の強いペテロでしたが、イエス様が当時の宗教家の妬みによって捕らえられ裁判を受けている時、なんとイエス様を三度も、「私はイエスを知らない。」と否定したんです。三年間、寝食を共にし、尊敬してきたイエス様を何といとも簡単に、「知らない」と否定したんですねえ。

 ペテロは、実はこの出来事の少し前には、イエス様に対して、「イエス様。たとえ牢屋であろうが、死であろうが、覚悟はできています。どこにでもあなたについて行きます。」と言ったばかりだったんですよ。人間の気負いというものは、もろくも崩れてしまうものですね。しかしイエス様は、そんなペテロに何と言われたでしょう。「もうお前との関わりは断つ。どうしようもない奴め。」と言われたでしょうか? いいえ、こう言われたんです。「ペテロ。わたしはあなたの信仰がなくならないよう、あなたのために祈る。だから立ち直ったら兄弟を力づけてやりなさい。」と。

 考えてみれば私たちも失敗だらけですよね。でもそんなあなたに同じようなまなざしを注いでいるイエス様がいてくださることをあなたはご存知ですか? 「立ち直ったら兄弟を力づけてやりなさい。」 あなたにも向けられているんですよ。

 (PBA制作「世の光」2005/1/11放送でのお話しより )

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■ 道を開かれる主

2005年01月10日 | Weblog

世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、大分もう古いことになりますけれども「十戒」という映画を御覧になったことがあるでしょうか。チャールトン・ヘストンが扮するモーセに率いられてですね、イスラエルの民たちがエジプトから脱出する、そこから解放される。で、せっかくそこから解放されたんですけれども目の前に何と紅海という大きな海が横たわっていて、そうこうするうちに後ろから追っ手が追いかけてくる。こうなったらもう私たちはこの海底の中にもくずとなってしまうほかないのかというそういう時に、神様は不思議にその紅海をまっぷたつに開いてくださって、そこを通り抜けていくことができたというそういう場面、劇的な場面がその映画の中にありましたが、 それは旧約聖書の出エジプト記という所に出てくる所なんですね。

 で、私たちが新しい年を迎えて踏み出していきましたけれども、時々、目の前はもう塞がってしまって、これ以上行くこともできない、もう後ろにも戻ることができない、にっちもさっちもいかないというような、そんな場面に出くわすことがあるかもしれないなあと思うのですけれども、しかしあのようにして神様は不思議なように海を開いて、そこに道のない所に道を開いて、そして彼らを生かしてくださったように、今も神様はそのようにして助けてくださるお方ではないかというふうに思わされる訳ですねえ。

 聖書のイザヤ書の22章という所に、「あなたたちの先を進むのは主であり」、ということばがありますけれども、この「先を進む」ということばは、ギリシャ語の聖書でみますならば、ちょうどこの軍隊の先兵隊または工兵隊、つまりあとからの軍隊がそこを進むことができるために前もって道備えをする役目を果たす軍隊のことですねえ。 で、そこにはさまざまな障害物があったならばそれを取り除く、地雷を取り除くとかですね、そして橋のない所には橋を造ったり、道のない所には道を造ったりして、後からちゃんとそこを進んでいくことができるようにする役割、それが「先を進む」というふうに訳されていることばに現れている訳なんですね。で、「先を進むのは主であり」というのは、まさに主が私たちの前にいて様々な困難を取り除きながら前に進むことができるようにしてくださるお方なのだという、私たちはこの年、このお方を先頭にして進んでいくという所に確かさがあり安全があるということを本当に思うんですね。

 ( PBA制作「世の光」2005/1/10放送でのお話しより )

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■ 教会に行ってみよう

2005年01月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 神奈川県川崎市にお住まいの菅野シゲ子さんは、新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16節から18節をお寄せくださいました。
 三浦綾子さんの『道ありき』『この土の器をも』『光あるうちに』と読んで、なんと素晴らしい本だろうと感動しました。すると本の中に、どんなに本を褒められるより聖書を読むとかお祈りをするとか教会に行ってくれるほうがどんなに嬉しいかしれない、と書いてあったので一度だけ教会に行ってみようと思い、参加しました。賛美、献金の時に急に涙が溢れるように出て止まりませんでした。礼拝が終わって、初めて来た人は自己紹介をしてほしいと言われた時に、私は、神様はいると思います、と口から出てしまいました。一日おいて次の日、教会の牧師先生御夫妻が、家まで来てくださり、罪を悔い改めて信じて救われませんか、と言われました。私はそれまで、罪がないと思っていたのですが、その瞬間、子どもの頃、弱い者いじめをしたり、大人になってもすべて自分中心で、他の人のことは切り捨て、というような冷たい心、それこそ罪だと知らされ、牧師夫人がヨハネの手紙第一の1章9節を開いて読んでくださり、牧師先生のあとについてそのおことばを読み、お祈りをしました。それからは毎週、教会に行って礼拝を守らせていただいております。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのこと感謝しなさい。」とのおことば通りに生活をしていると、お金の使い方、時間の使い方も変わり、今まで自分ばかりに頼っていたのに、私は今、守り助けてくださるイエス様を頼りにしているので安心です。

菅野シゲ子さんの心に残る聖書のことば
 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。
テサロニケ人への手紙第一5章の16、17、18節です。

 では、また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」05/1/8放送でのお話しより )

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