2021/4/8放送送
世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は、キリストの復活の希望に生きる人の証言、証(あかし)に耳を傾けたいのです。その人の名はパウロといいます。初めに、パウロの言葉を紹介しましょう。
「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」
ピリピ人への手紙 1章21節 (口語訳聖書)
今、伝道者パウロはローマの獄中にいました。これからローマ皇帝の名のもとで裁判を受けることになります。無罪で釈放の身となるか、あるいは有罪となって死罪になるか、そのどちらかになるのです。そのどちらかになっても「私が生きるにも死ぬにも私の身によってキリストがほめたたえられることです。」と言いきっているのです。
生か死かという板挟みの中で、伝道者パウロにとっては、生きることはキリストのためになり、ピリピ教会の人々のためになりました。しかし、もし死ぬことになったとしても私にとっては益であり、死を通してキリストがほめたたえられるからだ、という確信だったのです。
「私はそのどちらを選んだら良いかわからない。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。」
ピリピ人への手紙 1章23節 (口語訳聖書参照)
とパウロは告白しているのです。
私はこのコロナ渦の中で、このパウロのことばに励ましと勇気を与えられて神様を礼拝しています。
キリストの教会とは何か、なぜ神礼拝を献げるのか、そのようなことを考える中で、二つの確信が与えられました。
一つは、キリストの教会とはキリストの名よって集まる所です。その中にキリストがいて下さるという約束です。
もう一つは、この世では私たちのいのちよりも大事なものがあるということでした。それは主イエス・キリストを信じて従うことです。
今年の一月から非常事態宣言の中、インターネット配信を見ながら信徒の方々には神礼拝を守っていただきました。また教会においては、長老、執事と四人と共に神礼拝を献げさせていただきました。キリストの復活の希望を持つ私たちのささやかな証しです。
ラジオの前の皆様の上に神の守りと祝福がありますように。神が御顔の光を向けて、皆様を恵み、平安を与えてくださいますように。アーメン。
(PBA制作「世の光」2021.4.8放送でのお話より )
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