2021/4/6放送送
世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日も昨日に続き、聖書は死について何と語っているかをお話しします。
人は三度死ぬ、と聖書は語っています。まず一度目の死は精神的な死というものです。聖書的には霊的な死とも言いますが、一般的に生きた屍と言われる状態です。生きているのは名ばかりで実は死んでるような生活や人生を送っている人です。ことばを換えますと、罪と悪の中で生活している人たちは罪と悪の中で死んでいる、と聖書は言います。
「あなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者である」と、エペソ人への手紙の2章1節で言われています。
身体はどんなに丈夫であっても神様の目から見たら、罪と悪の中で生きている人は既に死んでいる人なのです。
次に、第二の死は身体的な死です。私たちの体の機能が低下し消滅していくことです。呼吸が停止し、運動が停止し、筋肉の硬化が始まっていくのです。そして肉体は腐敗して分解し自然の土のちりに帰っていくのです。
聖書が語る三番目の死は第二の死といわれる死です。私たち人間は体と魂と霊の三階建てに作られていると聖書は語っています。ですから体は死んでも霊魂は生きています。「ちりはもとにあった地に帰り、霊魂はこれを下さった神に帰る。」と伝道者の書12章7節にあります。人は生きたように死に、死後、私たちの霊魂は神のもとに帰り、そこで神の審判を受けるのです。そして、死後も生き続ける私たちの霊魂は、第二の死を経験することになります。これを聖書では、地獄の苦しみ、第二の死とよんでいます。
「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
ヨハネの黙示録の21章8節 (新改訳聖書 第三版)
死とは私たちにとって自然なものではなく、聖書によれば、死は罪の報酬として不自然なものとして描かれているのです。
(PBA制作「世の光」2021.4.6放送でのお話より )
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