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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-58 / 大嶋重徳

2021年09月03日 | Weblog

2021.3.19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでルカ福音書3章にまで来ました。イエス様がバプテスマを受けられた時の事が記されています。

 ある時、中学生に質問をしました。「洗礼を受けることについてどう思ってるの?」 すると「たくさんの人の前でイエス様を信じたことの証しをするのが恥ずかしい。」とはっきりと言われました。「個人的にこっそり受けることはできないもんですか?」と聞かれたこともあります。しかし洗礼はこっそり受けることはできないのです。牧師と数人の方々に囲まれて病床洗礼を授けるということはありますが、それもこっそり行うものではなく、教会の交わりの中で受けるのです。

 その中学生にこんな説明をしました。「もし〇〇ちゃんに恋人ができて、『俺たちが付き合っていることは誰にも言うなよ。』というような彼氏だったらどう思う?」

 「嫌だ。」
 「そうでしょう?」 
 「えっ?❢ 私と付き合ってることが恥ずかしいの? もしかして他の誰かと付き合う可能性を残そうとしているの?」と思わせているんじゃないの、と思うんじゃない?」
 「うん。」
 「神様だって同じだよ。洗礼を受けないっていうのは二股かけようとしているんじゃないかと思われちゃうよ。」
 「えっ、それは嫌だ。」
 「〇〇ちゃんは他の神様を信じる可能性を残そうと思っているの?」
 「ううん、思ってない。」
 「信じているのはイエス様だけで行く予定?」
 「うん。」
 「じゃあ洗礼受けなよ。」
 「分かった。」
 
 ま、良かったなあと思ってほっとしました。

 私たちはイエス様を信じる時に、信仰は公に明らかにするのです。洗礼はこっそり受けるものではなく、証しもこっそりするものではありません。洗礼はある意味たかが儀式ではないかと思われるかもしれません。しかしされど儀式です。この洗礼を受けたと言う決心があなたの人生をこれからも守ってくれるのです。

 洗礼は結婚指輪のようなものです。結婚を確かにするのは婚姻届というたかが紙切れ一枚の結婚です。しかし指輪は日々自分の人生が誰かと生きるものとなったことを思い起こさせてくれます。指輪は結婚したあの約束を思い起こさせてくれるのです。ああ自分は洗礼を受けたのだと、自分の信仰の不確かさから守られて生きることができます。人前でイエス様との関係を明らかにしていく。自分の側ではこの信仰を続けていくことに自信はないかもしれない。しかしこの信仰の決心を持ち運んでくださる神様にお委ねして私たちは生きていくのです。指輪をつけながら生きていく。あなたも洗礼を受けて信仰の確かさを身につけてみませんか?

     ( PBA制作「世の光」2021.3.19放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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