2021.3.29放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
キリスト教会のカレンダーでは今週はイエス・キリストが十字架につけられたことを覚える受難週で、今度の日曜日はイエス・キリストが死からよみがえられたことを記念するイースターを迎えます。そこで今週は、ご一緒に聖書から死と復活ということについて考えていきましょう。
さて、旧約聖書の最初の書物である創世記5章を読むと、初めの人アダムからの系図が記されています。でもこの系図を見ると、とても不思議に感じることがあります。それは登場人物が皆考えられないほどの長寿なんですね。例えば、アダムは930年生きたとか、エノシュは905年生きたと書かれています。こういう箇所を読むと、当時の年数の数え方は今と違うのではないかとか、当時の地球の環境や空気中の酸素濃度などが今と違っていてみんな長生きができたのではないかとか、ま、いろんな解釈が出てきます。
しかしこのケースについて寿命の長さをあまり詮索する必要はありません。なぜなら、この系図には、普通の系図には含まれていない独特な表現が出てくるからです。それは、誰々は何年生きた、こうして彼は死んだ、という表現です。
普通、系図は死んだ先祖の名前を記録していくものなのですから、死んだなどということはこれ当然です。しかしこの系図には丁寧に、「こうして彼は死んだ」と繰り返し繰り返し記されていくんです。
ある聖書学者は、この創世記5章を「弔いの鐘が鳴っている」と表現しました。つまり人はどんなに長寿であったとしても、「こうして彼は死んだ」とあるように、決して避けることのできない死という現実に人は直面しなければならないということなんです。
私たちはどんな人でも死亡率100%の世界に生きてるわけですねえ。しかしもし聖書が、人は何年生きて、こうして彼は死んだ、とだけ記す書物なら、そこには励ましも慰めも希望もありません。しかし私たちは旧約聖書を読む時、いつも新約聖書の約束を通して読んでいくのです。
イエス・キリストはこう言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節 )
人は生き、そして死にます。しかしイエス様は「わたしを信じる者は死んでも生きる」と死を打ち破るいのちがあることを約束されたのです。
(PBA制作「世の光」2021.3.29放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。