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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしだ、恐れることはない / 福井 誠

2021年09月08日 | Weblog

2021/3/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨハネの福音書6章20節から「わたしだ、恐れることはない」と題してメッセージをお伝えいたします。

 イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」

 ヨハネがこの福音書を書いた時はかなり高齢になっていたのではないかと考えられています。つまりこの福音書は、イエスを見たこともないしイエスの肉声を聞いたこともない人々に向けて書かれたというわけです。

 ヨハネは改めてキリストを深く理解し、キリストに従う心を持たせる必要を感じていたのでしょう。

 そのような意味で、ヨハネは、イエスと出会いイエスによって支えられた人々を具体的に取り上げていますねえ。つまり4章ではサマリアの女のエピソードを取り上げ、イエスが旧約で約束されたメシアであることを示し、5章のベテスダの池のエピソードではメシヤが神の憐れみをそそがれるお方であること、神が生きておられることを語ります。そしてここ6章では、その神の力のいかばかりであるかを五つのパンと二匹の魚で五千人の腹を満たした奇跡、また強風で荒れた湖を鎮める奇跡をもって示すのでした。

 そしてヨハネは、このようなイエスに当時の人々が三つの反応を示したことを加えます。イエスの話を聞いて受け入れられない思いで離れていく者たち、イエスの力を認めてさらに信仰を深める者たち、面従腹背となってついていく者たちでした。

 ヨハネは一つの態度決定を求めていると言えるでしょう。信仰を持つということは横のつながりだけで生きてきた人生に縦の軸を加えることを意味します。つまりそれは、いつも天を仰ぎ、神の可能性を信じ、神との関係の中で生きていくことです。

 ですから真に神を信じる者は地上の事柄で息詰まるようなことがあっても落胆しないものです。「わたしだ。恐れることはない。」と語られるイエスが共におられることを覚えて歩ませていただきましょう。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.3.24放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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