2021/3/23放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨハネの福音書5章6節から「 良くなりたいか 」と題してメッセージをお伝えいたします。
そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」 (ヨハネの福音書5章5節、6節)
今日エルサレムの旧市街を歩くと、この舞台となったベテスダの池の跡地を見ることができます。そこには当時の面影はほとんどありませんが、大きな二つの池があって、その池を囲むように五つの回廊があったとされています。そして池には、神の憐れみによって病気が癒される、という迷信がありました。ベテスダはアラム語で「憐れみの家」です。つまり当時、人々はその迷信を信じて、ほとんどその回廊に住み着くような状態であったのでしょう。こうして三十八年も病気で苦しんでいた男も、長いことそこに伏せていたようですね。
彼は神の憐れみがあることを期待しながらも、もうほとんど諦めかけていました。そこにイエスが訪れるのです。そしてもはや神に真剣に求めることを忘れていたこの男に、イエスは「良くなりたいか」とストレートに尋ねられます。
イエスの意図は明らかです。神の憐れみ以外に頼るものがなくてここに来たのに、どうしてここで諦めてしまうのか、良くなりたいのだったら信仰を働かせなさい、ということでしょう。
しかしながら三十八年も長く曲がっていたものをまっすぐにすることなどまず不可能なことです。他方、そのように不可能な現実に直面なしながらも、人間には諦められない気持ちがあるのも事実です。だったら諦めてはならない、というのがイエスの語るところでしょうか。
神は生きておられるのですから、諦めずに神の憐れみを求めるならば、なにがしかの応答はしてくださるはずなのです。
神の憐れみの深さを小さく考えてはなりません。天を仰ぎ、神に期待して日々歩みたいものですね。
( PBA制作「世の光」 2021.3.23放送でのお話しより )
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