2021.3.18放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
ルカ福音書3章にはイエス様がバプテスマを受けられた時のことが記されています。ラジオのリスナーの方も「洗礼を受けることを決心なさってはどうですか」と言われたことがあるかもしれません。洗礼は人に強制されてするものではありません。しかし神様のことばと祈りに既に生かされてらっしゃるなあと思われる方々がおられるのも事実です。 洗礼を受けるのには至らない。そしてこんな風におっしゃる事があります。「自分はまだまだ罪ばかり犯してしまうので・・・」
しかしクリスチャンとは立派な人のことを言うのではありません。全てが分かったから洗礼を受けるのでもありません。洗礼を受けるともう罪を犯せないということでもないのです。きちんと洗礼を受けてからも、きちんとクリスチャンは罪を犯すのです。
しかしクリスチャンとはイエスキリストと共に生きようとする人のことです。そしてイエス様と共に生きようとする人にイエス様が共に生きてくださるのです。
洗礼は救われたことの確かさを表してくれます。洗礼式の出来事は、信じるとあなたが言った時から、あなたには宅急便が届いた時の受け取りのように、「あなたは私のもの」と神様が受け取りのハンコを押してくださったようなものです。洗礼はその印鑑の役割を果たすのです。
「いやー、あれは子供の頃だったので、なかったことにしてください。」と言ったとしても、「いやいや、あなたはもうわたしのものだ。」と神様がおっしゃって下さる。会社の社章というあのバッジのようなものでもあるかもしれません。「入社したあなたを私はきちんと育てる。一人前の社員として会社あげて育てる。」と。神様が「あなたの信仰をわたしが導き、わたしが育て、わたしが確かにするのだ。」とおっしゃってくださるのです。
洗礼を受けてからの私も日々罪を犯し続けています。しかしそれはもう神様の手の中の出来事なのです。確かに神様の手の中に入れて頂いた。そしてイエス様が週ごとにみことばを語ってくださり、聖餐式の恵みの中に入れてくださり、そして育ててくださるのです。新しく生きる生活のルーティンが始まって行くのです。そのときに私たちは少しずつでも確かに変えられていくのです。
この救われた確かさが私たちを信仰のぐらつきから守ってくれるのです。16歳の洗礼を受けた日から、事実神様は私を守って下さいました。そしてこれからも守ってくださるでしょう。たとえ罪を犯したとしても、古い自分が死んだ日を確かに思い起こすことができるのです。
( PBA制作「世の光」2021.3.18放送でのお話しより )
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