2021.3.31放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
キリスト教会のカレンダーでは今週はイエスキリストが十字架につけられたことを覚える受難週で、今度の日曜日はイエス・キリストが死からよみがえられたことを記念するイースターを迎えます。そこで今週はご一緒に聖書から死と復活ということについて考えていきましょう。
新約聖書のヨハネの福音書11章に、ラザロという人が病のために死んでしまったことが記されています。
イエス様は弟子たちに、「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」(11節 新改訳聖書第三版)と言われたのです。
イエス様はここでも、人は眠っている状態だと言われたのです。
イエス様が村に着くと、ラザロの姉妹であるマルタとマリヤが出迎えました。
そしてイエス様はこう言われたのです。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(25節)
しかしこの姉妹はイエス様のことばを理解することができませんでした。
そこでイエス様はラザロが葬られた墓に行かれ、「その石を取りのけなさい。」(39節)と言われ、大声で「ラザロよ、出て来なさい。」(43節)と言われたのです。
すると、何と布に包まれたラザロが墓から出てくるではありませんか。
イエス様は「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」と言われましたが。日本語の「いのち」ということばは「息の内」が省略されて「いのち」ということばになったと言われます。ですから、息が絶えたら全てが終わってしまうという大変合理的なことばだと言われます。
しかしイエス様は、この息の内を超えたいのちがあると言われたのです。つまり私たちの肉体の死はすべての終わりではないというわけです。
こういうことばが語られるときに、そのことの証明が大切です。
その一つは、イエス様がラザロを生き返らせてくださったということです。そしてイエス様はこの後、十字架につけられるのですけれども、聖書に記されている通りに三日目に死からよみがえられた、復活されたのです。もしイエス・キリストが十字架で死んで全てが終わりであるなら、イエスキリストのことばには何の説得力もありません。しかしイエス・キリストが死を打ち破り復活されたのなら、死は終わりではないということを証明したことになります。そこにこそ大きな希望があるわけです。
(PBA制作「世の光」2021.3.31放送でのお話しより)
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