2021/3/26放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨハネの福音書8章12節から「わたしは世の光です」と題してメッセージをお伝えいたします。
イエスは再び人々に語られた。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
以前、世の光放送は『暗き世の光』と呼ばれていた時代があったと聞いたことがあります。確かに世の中には明るい話題もあることにはありますが、それ以上に人の心の暗闇をそのまま映し出す出来事も多く、この暗い世の中を何とか明るくしたいと思っておられる方々もいることでしょう。
さて今日の箇所には、そんな人や社会の闇を語るようなエピソードが取り上げられています。ユダヤ人の宗教家たちが一人の女を姦淫の現場で捕まえ、イエスのもとに連れてきたのです。
ユダヤ人の掟によれば、このような女は殺されなければなりませんでした。イエスはそこでいかなる判断を下すのか、人々はイエスに目を向けたのです。
しかしこれは実に社会の暗闇そのもののような事件でした。裁かれるのは女のみならず男もでした。しかし男の姿はありません。明らかに、イエスを陥れるためにこの女を利用したのです。イエスを失脚させようとする深い妬み心、そして一人の女を自分たちの目的のために利用し、殺されるはめになっても構わないとする冷え切った冷たい心。しかも彼らは人の道を説く宗教家です。実に嘆かわしい暗き世の現実がそこにありました。
それは決して昔物語ではないでしょう。イエスはこの女を彼らの罠から救い出し、言うのです。「決して罪を犯してはなりません。」と。暗き世には様々な落とし穴がある。近づくな、ということでしょう。
そして重ねて言います。「わたしは世の光である」と。イエスに聞き従う者は安全に住み、災いを恐れることがなく、安らかに生きることができます。
では今日も良き一日となるように祈ります
( PBA制作「世の光」 2021.3.26放送でのお話しより )
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