♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■喜んで自分をささげた大山捨松 / 岩井基雄

2017年10月30日 | Weblog
2017/9/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 歴史の中を歩んだクリスチャンから学ぶ第四週の月曜日、今日は大山捨松を学びましょう。安政7年、1860年、会津藩の国家老の娘・捨松は8歳で会津戦争の不発弾処理をし、義理の姉が目前で死亡、捨松も大怪我をします。降伏後、捨松は函館の沢辺琢磨の元に里子に出されます。坂本竜馬のいとこ沢辺琢磨は既にキリスト教の洗礼を受け、ハリストス正教会の最初の信者でした。11歳の捨松は兄に同行し岩倉使節団に参加し、渡米します。この時6歳の津田梅子とは生涯使命を共にします。捨松はコネチカット州のベーコン牧師宅に預けられ、なお聖書を学び、彼から洗礼を受けます。進学したヴァッサー大学で人気者の侍の娘・捨松は美貌と知性でも人々を魅了します。卒業後は看護婦養成学校に通い、上級看護婦の免許を取得。アメリカ赤十字社に強い関心を寄せます。明治15年、22歳で帰国した捨松は日本赤十字社の設立や女子教育に専心したいと願いましたが、彼女たちの職場はなかったのです。ちょうど陸軍伯爵・大山巌が後妻を探していました。語学に堪能な捨松は最適でした。しかし薩摩出身の大山を会津の山川家は受け入れません。反対の中、二人は結婚し、鹿鳴館で盛大な披露宴を催し、その後もそこで活躍する捨松は「鹿鳴館の華」と呼ばれます。

 ある日、東京病院を見学した捨松は看護婦がおらず病院の世話をする雑用係の男性に衝撃を受けます。日本初のチャリティー・バザーを鹿鳴館で開き、看護婦養成学校を設立した捨松は津田梅子の女子英学塾設立も全面的に支援し、多くの慈善事業を行います。様々な誤解も受けた捨松でしたが、傷ついた人々や立場の弱い女性たちにキリストの愛を豊かに注ぎ、自分も与え続けたのです。

 聖書のことば

 「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。
         新約聖書 使徒の働き 20章35節

   PBA制作「世の光」2017.9.25放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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