♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■祈りを聞かれる神様 / 関根弘興

2017年10月13日 | Weblog
2017/9/8放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 誰でもが祈るということを経験したことがあると思います。でも、祈るという時に誰に向かって祈っているのかということを多くの方は考えないんですね。でも、誰に向かって祈るかってことはとても大切な問題です。聖書は、あなたの祈りを聞いてくださる方がいますよ、それは天地万物を創造された神様がおられるのですよ、と教えます。そしてイエス様はこの神様に向かって何と「天のお父さん」と呼びかけて祈りなさい、それも失望しないで祈り続けなさい、と教えられたんです。

 前回も紹介しましたがイエス様はこんなたとえを話されました。ある日の真夜中、旅の途中の友人が突然やってきました。しかし食事を出してやろうにも何もなかったんです。そこでこの人は別の友達の所に行って、「パンを三つ貸してくれ。」(ルカ 11章5節)と頼むんですねえ。しかし、「『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。」(ルカ 11章7節)と断られてしまうんです。しかし、「あくまで頼み続けるなら、・・・必要な物を与えるでしょう。」(ルカ 11章8節)と結ばれているんですねえ。

 旧約聖書の箴言の3章28節という所にはこんなことばが出てきます。
 「出直してくれ。明日上げよう。」と友に言うな。あなたが今持っているなら。
 こういうことばがあります。これは友達に頼まれたものが手元にあるなら、その場ですぐに与えるべきだ、というユダヤの社会に生きている人ならよく聞かされていたことばです。ですからイエス様の例え話を聞いていた人たちは、友達がパンを貸してくれと頼みに来たらすぐに貸してやるのが当たり前だ、と思って聞いていたはずです。幾ら真夜中に起こされて迷惑だったとしても貸さなければあとで友達に頼まれたのに断った男として恥をかくことになるかもしれません。ですから頼まれ続けたら自分の面子に懸けても貸してやるだろうともこの箇所は読み取ることができる話なんですね。

 そうであるならどうでしょう。まして私たちの神様はご自分の面子にかけてご自分の名にかけて私たちの祈りを聞かずに放って置かれるはずはありませんね。私たちは愛と憐れみに富む天のお父様に失望しないで祈り続けていくのです。神様はあなたの祈りを聞かれる方なのですから。

 (PBA制作「世の光」2017.9.8放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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