♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■失望せずに祈ろう / 関根弘興

2017年10月06日 | Weblog
2017/9/1放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 イエス・キリストは祈ることの大切さを教えるために、こんな例え話をされました。

 ある日の真夜中、旅の途中の友人が突然やってきました。しかし食事を出してやろうにも何もなかったのです。そこで彼は別の友達の所に行って「パンを三つ貸してくれ」と頼むのですが、その友達はですね、「面倒をかけないでくれ。もう戸締りもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて何かをやることはできない。」と断られてしまうんです。しかしあくまで頼み続けるならそのためには起き上がって必要なものを与えるでしょう。こんな話なんですねえ。(ルカ 11章5~8節参照)

 ここに出て来る人物はみな友達ですが友達もいろいろですね。真夜中に立ち寄るちょっと図々しい友達もいれば、もてなしのために奔走する友達もいる。また友達だからといって真夜中に起きて何かをやる(なんて)、・・・とんでもない、ま、冷たく断る友人もいたという訳ですね。

 しかしここで問われているのは、あくまでも頼み続けるならそのためには起き上がって必要なものを与えるでしょう、ということなんです。つまり、一度だけで諦めてはいけない。懇願し続けることが大切なんだ、とイエス様は教えられました。

 またイエス様はこんなたとえも話されたんです。

 一人の女性が裁判官に裁判をしてくれるよう執拗に訴え続けました。しかしこの裁判官はちょっと冷たい裁判官で、この女性の訴えを無視していったんです。しかしこの女性がひっきりなしにやってきてはうるさく訴え続けるので、ついに重い腰を上げて裁判をしてやったという話なんです。(ルカ 18章2~5節参照)

 イエス様はこの例え話の後にこう言われました。
 「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ 18章7節)
 つまり、意地悪な裁判官でさえしつこく繰り返される女性の訴えに応じたとするならば、まして、愛と憐れみに満ちた神様が私たち一人ひとりの訴えを放っておかれるはずが無いではないですか、と言われた訳ですね。

 イエス様は、「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」(ルカ 18章1節)ということを教えられたんです。あなたが祈る祈りを止めてはいけません。失望しないで祈り続けるのです。なぜなら、祈りを聞いてくださる天地を創造された神様がいてくださるからなんですね。

 (PBA制作「世の光」2017.9.1放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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