♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■さばく神の本当の思い / 羽鳥頼和

2017年10月28日 | Weblog
2017/9/23放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。先週に引き続いて旧約聖書のエゼキエル書からお話しします。エゼキエル書はユダの国がバビロンに攻められている頃、エゼキエルに与えられた神のことばが記されています。今日はそのエゼキエル書の21章で語られていることをお話します。

 神は、ユダの人々が行なっている偶像崇拝などの罪を改心して神を信じるように語り続けておられました。しかしユダはそれでも神に逆らい、神の言うことを聞きませんでした。21章では神の裁きを切れ味鋭い剣に喩えて語っています。

 裁きの剣は鞘から抜かれ、罪ある者にその刃を向けます。その刃は神の意のままに罪ある者に向けられます。罪ある者は誰もその剣から逃れることはできません。そして神はユダを裁くためにバビロンを剣として用いられます。

 ユダはそんなことがあるはずが無いと言いますが、神はバビロンを用いてユダを滅ぼされます。神は何と厳しく恐ろしい方でしょう。しかし、神の厳しい裁き、神の厳しさの背後には、どうしてもユダを失いたくないという神の思いが隠されています。神はユダの人々を愛しておられます。そして何とか立ち返って欲しいと願っているのです。

 このような強い神の愛は私たちにも向けられています。新約聖書ヨハネの黙示録3章19節に、その神の思いが記されています。
 「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
 
 続けて神は言われます。
 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(3章20節)

 神は私たちと食事をしたいと切に願っておられます。聖書において食事とは、互いに信頼し、愛し合っている者たちがする最高の交わりです。そして戸をあけるとは心を開いて神を信じ受け入れることです。

 明日は日曜日です。あなたもぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
 
(PBA制作「世の光」 2017.9.23放送でのお話より )
 
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