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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■体の器官/関根弘興

2016年05月09日 | Weblog
2016/5/9放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
  新約聖書のローマ人への手紙12章5節のことばをまず今日は紹介しましょう。
 「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

 これを書いたパウロは、ローマ帝国時代に各地でイエス・キリストの福音を伝えていきました。そして各地に教会が生まれたんです。そこにはローマ市民もいましたし、ローマ帝国内の奴隷たちもクリスチャンになっていきました。主人も奴隷もいたということですね。もちろん、子どもも女性たちもいました。教会は多様な人たちが集まっていたのです。

 そこでパウロはそれらの人たちに素晴らしいことを語りました。それは、みな違いがあるけれど、一人ひとりは大切なキリストの身体の器官なのですよ、と語ったんです。

 少し身体の器官のことを考えてください。身体の各器官というものはですね、互いに比較しあったりはしませんよね。また互いに批判しあったりもしませんよね。

 私は数週間前に、なかなか咳が止まらずに困ってしまいました。その時、私の肺が、気管支に向かって、「お前。何やってんだよ。お前が咳ばかりしてるから俺の負担が増えるじゃないか。お前なんかいないほうがいい。」 そんなことは決して言いませんね。もし指が怪我をして痛む時に、手が「全く駄目な指だなあ。切り離してしまえ。」とは決して言いませんよね。むしろ身体はそれぞれの器官が弱く傷ついていくときに、全身でそれを護り癒そうとする、そういう働きを体中がする訳です。それはそれぞれが繋がっているからこそ保たれるんですね。

 もし私たちがキリストを信じ生きるなら、一人ひとりは大切なキリストの身体の一部、器官とされているんだと教えます。その事を深く考えると、あまり人と比較しようなどとは考えなくなりますねえ。もちろん人を見て、うらやましいなあ、あんなことができたらいいなあ、と思うことはあります。でも、それぞれの違いがあることを認めて生きることができるようになって来るんです。

 ですからキリストにあって生きて行くとき、他人と自分を比較し、私はだめだとか、私はあの人より素晴らしいとか、自分の価値を上げたり下げたりする必要などないんです。
 聖書が教える「一つとされて生きる」ということは、みなが違っているからこそ一人ひとりが大切なんだ、ということなんですね。

  (PBA制作「世の光」2016.5.9放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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