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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私は祈った / 福井 誠

2016年05月05日 | Weblog
2016/5/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私は祈った」です。それでは第一サムエル記1章26節、27節から読んでみましょう。
 「祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。

 先月までイザヤ書を見てきましたが、今月からサムエル記を読んでいきたいと思っています。サムエル記はイザヤの時代よりも更にさかのぼること600年も昔の話、今から約3300年も昔の時代を背景としたものです。しかし聖書のお話は作り話ではありません。今年の3月にイスラエルに行きましたが、聖書の様々な史跡を巡り、本当に聖書の世界が繰り広げられた時代があったのだなという思いを深くしました。

 さて主に祈った女が祭司に語りかけています。この女はハンナと呼ばれていました。ハンナはエルカナという人の二人目の妻で、なかなか子どもを授からず悩んでいました。しかももう一人の妻はハンナを憎んで気をもんでいるハンナがますます苛立ちつように意地悪をする悪い女でした。そんなこんなで悩みに悩んだハンナは主の神殿へ来て、一心に祈りを捧げ、やがてその祈りが神に聞かれるという恵みに与るのです。

 かつて神殿で声も出さずに唇だけ動かして祈っているハンナを見て、そこにいた神殿の祭司は酔っぱらっているのだと誤解し家に返したのですが、そのハンナが再び神殿を訪れて、「私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。」と祭司に声をかけるのです。どうでしょう。聖書の神様は祈りに答える神様ですね。しかもそれは実に日常的な具体的な必要の祈りに対しでした。聖書の神様は御利益の神様ではないとよく言われますけれど、神様が私たちの祈りを決してないがしろにされないお方であることを、この小さなエピソードを通じても教えられるのです。私たちの思いを神様に素直に語ることにどうしてためらうべきでしょうか。いつでも神に期待して祈りを捧げて参りたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.5.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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