♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り - 50 / 大嶋重徳

2016年05月24日 | Weblog
2016/5/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りは、「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」ということばで祈ります。では、この祈りは何を祈っているのでしょうか。

 この祈りは、「国と力と栄えが、神様、あなたのものです」と祈るとき、それが限りなく続くのだと祈ります。この「限りなく」とは英語では ナウ アンド フォーエバー と祈ります。この今も、そしてこれからも、という意味です。この主の祈りで祈ってきたことを神様が聞いてくださるのは、遥か遠い先の話ではなく、今ここでこの時も限りなく神様はこの祈りを聞き遂げてくださり、神の国の実現をしてくださっているのです。

 私たちは、「我ら」と祈る祈りの成就を既に教会の礼拝で神の家族を経験していますし、聖餐で受け取るパンとぶどう酒によって日ごとの糧も受け取っています。しかしそれでもなお、この祈りが完全に聞き遂げられた訳ではありません。イエス様によってもたらされた神の国は今なお完成してはいないのです。

 私たちの目の前には今日も神様に叫ばずにはおれない悲しみの光景が広がっています。家庭の中にある痛み、いつ癒されるか分からない病の不安、仕事で抱える大きなトラブル、自分自身の中にある無力さや情けなさ、もう祈ることをやめようと思う失望に包まれているかもしれません。しかし主の祈りは「限りなく」と祈ります。今もこれからも、と祈るのです。やがて完全にこの祈りを聞き遂げられ、神の国の完成を待ちわびるキリスト者の希望の告白の祈りをなすのです。なぜなら今まで私たちが祈ってきた主の祈りのすべてがやがて完全に聞き遂げられる時が来るからです。

 それはイエス様が再びこの地上に来てくださる日があると聖書は語ります。昔からキリスト者はその日が来ることを花婿を待つ花嫁のように待ちわびてきました。マラナタ、「主よ来ませ」と祈ってきたのです。イエス様が再び来てくださる時、その祈りの完成の瞬間が訪れます。そして私たちは祈ってきた者全員で大喜びでその日を迎えることとなるのです。そして私たちの祈りは決して空しく空を打つようなものではなかったことを知るのです。

 ですからこの祈りを止めてはなりません。私たちは限りなく主の祈りを祈り続けたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2016.5.24放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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