♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■一つとされているとは/関根弘興

2016年05月02日 | Weblog
2016/5/2放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 今日はパウロが記したエペソ人への手紙の中のことばをまず紹介しましょう。エペソ4章3節。
 「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

聖書が教える「一致」とは何でしょうか。私たちは、一致団結しよう!とか一致協力してこの難局を切り抜けよう!というようなことばをよく耳にします。それは同じ利害に向かって意志や考え方や行動を統一しようという意味で一致ということばが使われますよね。でも、もし様々な事情でその働きに参加できなかったり協力できなかったりした場合は一致から外れてしまうことになりますよね。また一致とはみなが同じ意見を持つことだと考えると、異なった意見を出したりすればすぐに一致を乱すとみなされてしまうわけです。何だか一致を強調することによって、それぞれの多様性が奪われ、とても不自由な状態をつくり出してしまうこともあるわけですね。

 それでは聖書が教える「一致を保つ」とか「一つとされている」という意味はどのようなものなのでしょう。新約聖書のローマ人への手紙12章5節にはこう書かれています。
 「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
 このように書かれているんですねえ。つまりキリストを信頼し生きる一人ひとりはキリストの身体の器官とされていると言うんです。

 身体の器官は一つ一つの特徴や機能はみんな違いますよね。でも決してそれらの器官はバラバラで単独では存在することはできません。そして単独では機能を発揮することもできないわけですね。聖書は、一人ひとりは身体の器官の一部のようなものであって決して不要なものなんて何一つないんですよ、と教えるんです(1コリント 12章21節参照) 。

 それはすべてが同じような人になるという事が勧められている訳ではありません。寸法通りの規格統一された人となるということでもないんです。それぞれがキリストの身体の一員として機能し合いながら歩むものとされている、そういう意味で一つとされているというんですねえ。

 皆違っていいんですね。パウロはみんな違っていいんだ。一人ひとりがキリストの身体の大切な器官なのだから、と語っているんですね。だからお互いを大切にしていくものでありたいですね。

  (PBA制作「世の光」2016.5.2送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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