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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■言いわけ / 板倉邦雄

2016年05月25日 | Weblog
2016/5/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「言いわけ」という題でお話ししましょう。

 私たちは罪を犯したとき、言い訳をしますねえ。それだけではなく、自分の罪を人のせいにしてしまいます。

 さてモーセは祭司アロンに怒って文句を言いました。
 「あなたはなぜ人々に大きな罪を犯させたのですか。どうして人々が欲望のままに振る舞うことを許したのですか。周囲の人々の物笑いになっているとはありませんか。」

 するとアロンは言い訳して言いました。
 「そんなに激しく怒らないでください。この国民がどんなに悪いか、あなたも知ってるでしょう? 彼らは私にこう言って詰め寄ったのです。『私たちに先立っていく神を私たちのために作ってください。私たちをエジプトの国から導き登ったあのモーセはどうなったか分からないからです。』 そこで私は、『誰でも金をもっている者はそれを取り外しなさい。』と彼らに言いました。彼らが金を私に渡したので、私がこれを火に投げ入れ、溶かして子牛を造ったのですよ。」

 昔も今も、「私が悪うございました。ごめんなさい。」と謝る人は少ないようですね。悪いことをしても言い訳をしたり、悪いのは自分ではなく、秘書が、妻が、勝手にやったと罪を他の人に転化するのです。自分が悪いことをするのは親や兄弟のせいだ。先生や社会のせいだ、と言い訳するのです。

 私たちの人間の先祖アダムもそうでした。罪を犯して神様に責められた時、アダムは答えました。「“あなた”が私の側に置かれた“この女”があの木から取って私にくれたので私は食べたのです。」 アダムは自分が罪を犯したのは妻のせいにしてしまいました。もっと突っ込んで言いますと、神様のせいにしていることが分りますね。“あなた”が私の側に置かれた“この女”、と憎たらしく言い訳をしています。「神様。あなたがこの女を私の側に置かなかったら、私はこんな罪を犯さなかったんです。」 私たちはアダムの血を引くものです。言い訳したり人に罪をなすりつけるだけでは本当の解決にはなりません。「ごめんなさい」と言う心から、救いの光が見えて来るのではないでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2016.5.25放送でのお話より )

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