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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■弟子たちの足を洗うイエス 1 / 関根弘興

2014年03月03日 | Weblog
2014/3/3放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 これはヨハネの福音書に記されていることですけども、イエス様が十字架につけられる前の日の出来事です。イエス様は弟子たちと食卓に着き、何と弟子たちの足を洗い始められたんです。普通、宴会の席に招待された客が足を洗ってもらうのはその家に入るときです。そして足を洗うのは奴隷の仕事です。サンダル履きで外を歩いたため汚れた足を奴隷に洗わせるわけですね。

 ここに集まった弟子たちも家に入るとき奴隷に洗ってもらったかどうかは分りませんが、普通は既に足を洗ってから食卓についているはずです。しかしイエス様は食事をしている最中にわざわざ立ち上がり、上着を脱ぎ、腰を屈めて弟子たちの足を洗い始められたんです。

 イエス様がここでわざわざ食事の間に弟子たちの足を洗われたということは、もちろんイエス様が一人ひとりに仕えるしもべとして来てくださったということを示している訳ですが、それと共にイエス様の来られた大切な意味がここには象徴的に示されているんです。

 それはイエスをが弟子の一人ペテロに言われたことばの中に表されているんですね。こう言われました。

 「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」(ヨハネ 13章8節)

 こう言われたのです。イエス様は弟子たちの足を洗うために上着を脱ぎ、足を洗い、そしてまた上着を着た、と書かれているんですね。わざわざ上着を脱ぎそして着た、と記されているんです。

 聖書の中では上着を脱ぐという表現が死を意味し、着るという事がよみがえるという意味で使われることがあります。イエス様が食事の間に足を洗われたというのは、実はイエス様の死と復活によって罪の赦し、清めがもたらされることを示しているんですねえ。イエス様が弟子たち一人ひとりの足を洗われた水は、イエス様が十字架で流してくださる死を暗示しており、そのイエス様の十字架の血潮こそすべての罪を洗いきよめるものであることを聖書は私たちに教えているんです。

 ですから、イエス様に足を洗っていただくことを拒否することは、イエス様の来られた目的つまり一人ひとりの罪のために十字架についてくださるという目的を退けることになるわけですね。

 イエス様は「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」と言われました。私たちとイエス様との関わりは何によって始まるかと言うと、汚い足に象徴される罪を赦していただくことからイエス様との親しい関わりが始まっていくんですね。

 (PBA制作「世の光」2014.3.3放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。

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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

郵便貯金 12470-8050581
郵便振替 00890-3-111071  東海福音放送協力会 まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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