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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■「選び」とは / 岩井基雄

2014年03月21日 | Weblog
2014/3/21放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「選び」です。

 「選ばれる」ということは私たちの心に喜びを与えますが、逆に選ばれなかったという事実は私たちの心を悲しみや失望に向かわせ、時には神への怒りを見ますね。聖書のことばの中でも「選び」ということばは誤解を受けやすいことばの一つでしょう。選民思想ということばを世界史などで学びますが、神によって選ばれたと考えているイスラエルの民の姿に私たちは高慢で傲慢の臭いを感じることがありますねえ。しかしイエス・キリストが選ばれた12人の弟子たちも世間の目で見た時に特に優れた者たちではなく、どちらかと言うと選ばれるにふさわしくない者たちでした。実は聖書が語る「選び」とは才能や努力や見た目の麗しさなどによらず、選ばれたことによって高慢になるようなものではありませんでした。逆に、聖書に出てくる「選び」とは、へりくだった者に与えられ、選ばれた彼らは神に用いられていくのです。そこには神様の不思議な恵みと憐れみがありました。

 聖書の中に次のようなことばがあります。
 「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」 新約聖書コリント第一の手紙 1章27節から29節 

 「神様の選び」とは、愛と憐れみに満ちたものです。受けるに値しない恵みの選びを受けた時、私たちは高慢になることはできません。へりくだってその神様の恵みと憐れみを感謝をし、自らの愚かさを認めつつ、そして神様に心から従って行くことができる、そういうものだと言うのですね。すなわち、「選ばれる」ということは、その中にある神様の憐れみを覚えて、更にへりくだってそれを受け取っていくということなのです。私たちはこの選びを受けたとき、自分が選んだのではなく神様がこんな私を選んでくださった、そのように考え、心からへりくだって神様に従って行くことができるです。

 あなたもこの神様の恵みを受け取って、この感謝を神様に捧げる者とさせていただきませんか? 
 
  (PBA制作「世の光」2014.3.21放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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