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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■何に価値を置くのか / 岩井基雄

2014年03月14日 | Weblog
2014/3/14放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 アブラハムの執り成しの祈りにもかかわらずソドムとゴモラはその罪の大きさのゆえに神の裁きを免れることはできませんでした。そして町はついに滅びの時を迎えたのです。アブラハムの甥のロトの家族はその町から罪の影響を受け続け、滅びの時もその町から遠ざかることを拒みました。しかしアブラハムの信仰のゆえに彼らにもその裁きから逃れる道が開かれていたのです。一人の人によって他の人が神の憐れみを受けるという救いの道は神の恵みによって与えられているのですねえ。しかしロトたちは「山へ逃れよ」と語る神の使いに対して、近くの町に逃れさせて欲しいと願います。そしてロトの妻は「逃げる途中、振り返ってはならない」という命令に背いて捨ててきたものが気になったのか後ろを振り返ってしまうんです。

 聖書はこう語っています。
 「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」 旧約聖書 創世記19章26節

 彼らは神様のことぱを真摯に受けとめることをせずに、自分の解釈を加えて薄めたり曲げたりし、神様のことばより目に見えるものの方に執着してしまったのです。

 私たちも彼らのように目に見えるものに執着しそれらに価値を置き、それらを自分の宝として握り締めてしまうことがあります。捨てなければならないと分かっているものでさえ、神の御心に背いてまでも手放すことも捨て去ることができないことがあるのです。

 新約聖書の中でイエス・キリストは私たちに、
うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。
と語っておられます。ルカの福音書9章62節

 私たちはロトや妻の不信仰を笑うことはできません。なぜなら私たちも目に見えるものからの影響を受け続け、それに囚われてしまう存在だからです。それゆえ神様の恵みによって自らの歩みを律し続ける必要は誰にもあるのです。神のことばを真摯に受け入れ、朽ちることも失われることもない天の宝に心を留め、それから目を離さない姿勢を保ち続ける必要が私たちにはあるのですねえ。

 神の憐れみと真実さのゆえに罪深い私もそしてあなたも赦され救われる道が私たちの救い主イエス・キリストによって用意されています。あなたも神の愛のもとに来ませんか?
 
  (PBA制作「世の光」2014.3.14放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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