2014/3/10放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
新約聖書のヨハネの福音書に出ている記事ですが、イエス様が十字架につけられる前の日、イエス様は弟子たちと食卓に着き、弟子たちの足を洗い始められました。
そしてイエス様は、「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」(ヨハネ 13章8節)と言われたのです。イエス様との関わりは何によって始まるかと言えば、最も汚い足に象徴される私たちの罪をイエス様によって洗っていただくことからスタートするんですねえ。
イエスは以前、「わたしは失われた人を探し出して救うために来た。」(ルカ 19章10節参照)と言われました。また、「わたしは罪人を招くために来た。」(参照 マタイ 9章13節、マルコ 2章17節、ルカ 5章32節)とも言われたんです。
普通は汚い部分とか穢れた部分というのは関わりたくないものですよね。汚い部分は隠したいものです。しかしイエス様は私たちのありのままの姿をご覧になって、最も汚い部分にご自分の方から手を差し伸べて関わりをもってくださる方なんです。
そしてイエス様は弟子の一人ペテロにこう言われたんです。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」(ヨハネ 13章10節) このイエス様のことばの意味は、イエス様が足を洗ってくださるつまりイエス様この後十字架につけられて流してくださる血によって私たちのすべての罪を洗いきよめてくださる、ということなんです。
そしてそれは1回限りの完全なものであるんですよ、と意味しているんですね。イエス様は何度も十字架につけられる必要はありません。ただ一度十字架にかかることによって、私たちの罪の問題を完全に解決することがおできになるのです。また私たちが一度イエス様を信じて受け取った罪の赦しと救いは決して失われることのない完全なものでもあるんですね。
でもイエス様はここで足以外は洗う必要はないと付け加えられているんです。実はこのヨハネの福音書が記された頃、教会の中に一つの問題が起こってきました。それはイエス様によって完全に救われたのだからクリスチャンは罪を全く犯さなくなるという誤解が出てきたんです。もちろんイエス様が与える救いは完全です。でも私たちはこの地上の生活の中で赦されていても罪を犯してしまうことがあるわけですね。私の足はよごれる訳です。クリスチャンであっても罪を犯してしまう、過ちを犯してしまう。神様に背を向けてしまう時もあるでしょう。だからイエス様にその都度足を洗っていただくのです。
つまり、私たちに与えられてる人生は完全な赦しと共に、人生の中で継続的にイエス様の赦しの恵みの中に生きていくことができるという生涯でもあるんですね。
(PBA制作「世の光」2014.3.10放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、
郵便貯金 12470-8050581
郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会 まで
お問い合わせは、
電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内) 東海福音放送協力会 へ
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
新約聖書のヨハネの福音書に出ている記事ですが、イエス様が十字架につけられる前の日、イエス様は弟子たちと食卓に着き、弟子たちの足を洗い始められました。
そしてイエス様は、「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」(ヨハネ 13章8節)と言われたのです。イエス様との関わりは何によって始まるかと言えば、最も汚い足に象徴される私たちの罪をイエス様によって洗っていただくことからスタートするんですねえ。
イエスは以前、「わたしは失われた人を探し出して救うために来た。」(ルカ 19章10節参照)と言われました。また、「わたしは罪人を招くために来た。」(参照 マタイ 9章13節、マルコ 2章17節、ルカ 5章32節)とも言われたんです。
普通は汚い部分とか穢れた部分というのは関わりたくないものですよね。汚い部分は隠したいものです。しかしイエス様は私たちのありのままの姿をご覧になって、最も汚い部分にご自分の方から手を差し伸べて関わりをもってくださる方なんです。
そしてイエス様は弟子の一人ペテロにこう言われたんです。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」(ヨハネ 13章10節) このイエス様のことばの意味は、イエス様が足を洗ってくださるつまりイエス様この後十字架につけられて流してくださる血によって私たちのすべての罪を洗いきよめてくださる、ということなんです。
そしてそれは1回限りの完全なものであるんですよ、と意味しているんですね。イエス様は何度も十字架につけられる必要はありません。ただ一度十字架にかかることによって、私たちの罪の問題を完全に解決することがおできになるのです。また私たちが一度イエス様を信じて受け取った罪の赦しと救いは決して失われることのない完全なものでもあるんですね。
でもイエス様はここで足以外は洗う必要はないと付け加えられているんです。実はこのヨハネの福音書が記された頃、教会の中に一つの問題が起こってきました。それはイエス様によって完全に救われたのだからクリスチャンは罪を全く犯さなくなるという誤解が出てきたんです。もちろんイエス様が与える救いは完全です。でも私たちはこの地上の生活の中で赦されていても罪を犯してしまうことがあるわけですね。私の足はよごれる訳です。クリスチャンであっても罪を犯してしまう、過ちを犯してしまう。神様に背を向けてしまう時もあるでしょう。だからイエス様にその都度足を洗っていただくのです。
つまり、私たちに与えられてる人生は完全な赦しと共に、人生の中で継続的にイエス様の赦しの恵みの中に生きていくことができるという生涯でもあるんですね。
(PBA制作「世の光」2014.3.10放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
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