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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■悔い改めて生きる / 福井 誠

2012年04月05日 | Weblog
2012/4/5放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「悔い改めて生きる」です。それでは第一ペテロの手紙2章24節から読んでみましょう。

  「キリストは・・・自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

 日本人は神様を信じることについてはあまり抵抗感がないと言われます。ところが自分と神様の間にイエス・キリストが入って来るとよく分からない。イエス・キリストを通して神を信じるということがなかなかできないでいることがあります。まず私たちは聖書がこのイエス・キリストについて私たちの罪の赦しの身代わりになったのだと語られていることに注意すべきでしょう。イエスの十字架は大変残酷な出来事でしたが、それは私たちの罪の赦しのための犠牲であったのだというのです。

 この聖書の説明は極めて重要です。というのも私たちが死後、それまで手を合わせて祈っていた神の前に立って、これまでの人生についてその神のさばきを受けるとしたら、私たちはどのように扱われるものでしょうか。「天国へよくいらっしゃいました。さあこちらへどうぞ。」と VIP(重要人物的)な扱いを受けるでしょうか。そうではないでしょう。神は私たちの人生をつぶさに振り返って私たちの嘘や偽り・ごまかし、そうしたものをすべて裁かれるのです。というのも、たとえどんなに小さいものであってもそういうものを引っ下げて天国に入れるとしたら、そこはもはや天国ではなくこの世の延長です。たとえ私たちが善行や業績を引けらかしても神は天の御国の門を狭めて「天国をこの世の延長にはできません。」と突っぱねられるでしょう。

 しかしイエスを救い主として受け入れるならイエスが神と私たちの間に立って弁護してくださいます。「わたしはこの人のすべての罪の赦しのために十字架で死んだのだ」と。 神は天の門を開かれてイエスの十字架に免じて、罪を悔い改めて生きた私たちを受けるてくださるのです。イエスを信じイエスと共に神の御国を目指して歩ませて頂きましょう。

  ( PBA制作「世の光」2012.4.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




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